フィッシャー症候群 闘病日記

2015年9月8日

入院

8月26日 土曜日
朝 起床してみて・・・・
さらに
具合、悪し・・・・。

最悪です。

これでは旅行どころではないので、病院へ行くことにしました。また、病院へ行くなら、旅行先より家の近所のほうがやはり安心できるので、まずは東京へ戻ることにしました。

一人で階段を下りるのも危ない感じ。
なんとか妻の助けを借りながら、1階へ。

朝食を食べた後、すぐチェックアウト。
ここでも、具合が悪いので駅まで送ってもらえるか聞いてみるが無理との返事。
重ねて、鴨川近辺のアラビア系の宿ですが、ここへは二度と来るもんか、とふらふらしながら心に誓う・・・。
仕方ないのでタクシーを呼び、鴨川駅へ。

駅へ着いた時点で、もう完全に自立歩行ができなくなっており、改札で妻が交渉してくれて車椅子を借りる。

ちょうど、本数の少ない東京行きの急行が停車しており、それに乗ろうとするが、駅員さんが、
「ああ、それじゃあ階段を上っていってください。もうちょっとで出ちゃいますよ」との事。
歩けないから車椅子出してもらってんだろー!!!
とのことで再度駅員さんに妻が現状を説明し、他の通路での乗車を要請して交渉し、その後、階段を迂回するルートでホームまで到着(かなり急ぎめで駅員さんに車椅子を押してもらいました)、なんとか滑り込みで乗車できました。

そのあと、一路東京へ・・・。

お昼には東京駅へつきました(その間、また私は寝っぱなしでした・・・)。

結局、旅行へ行って病院に行っただけ・・・。なんつー旅行だ・・・・・と、思いました。

付いた先では、電車で電話をして連絡が取れた姉が迎えにきてくれており、三人でタクシーへ乗り込みました。

あとは、まずは救急でどこの病院へ行くか・・・、ということで相談のうえ、まずは東京駅から近く、信頼の置ける病院を、ということで、聖路加総合病院へ行きました。

そして、救急で受け付けてもらい、先生に見てもらいました。

ストレッチャ-に乗せられ、救急診察室で見てもらったのですが、その間もなんだかどんどん具合が悪くなっていくようでした。

この時点で、私の症状は下記のとおりです。
①頭がくらくらする(平衡感覚の不具合)
②複視(左目がうまく動かず、右目と左眼の動きが合わない。左眼は常に下方向を見ている為、像が右目と左目でが2つに見える)
③手足が痺れる(特に右手右足が痺れる)
④足の力がなかなか入らない
以上により、まっすぐに歩いてみろといわれるが5mも歩けず、という状態でした。

救急の先生には、この二日間の経緯を、亀田総合病院での診断を含めて説明しました。
救急の先生は、電話で神経内科の先生と連絡をとってくれ、いろいろと情報を集めてくれていたようです。
そして、この段階で、いろいろな原因が考えられるが、ギランバレー症候群という病気の可能性があるとの事を言われました。
ギランバレー症候群といわれてもピンとこなかったのですが、先生に「ゴルゴ13もかかっている病気だよ」と言われてイメージは分かりました。
ゴルゴは私の一番の愛読書だったのです・・・。

そのときはそれ以外、情報もなく、手足が痺れる、原因不明、と言ったことぐらいしか分かりませんでした。
それに、まだ病名も特定はされていませんでしたし・・・。

今となってみると、8月中旬の喉の腫れと発熱が風邪による潜行感染だったのです。

その後、救急の先生に、「骨髄液の検査をしますか」、と聞かれる。
この検査をするかどうか聞かれるが、しないとどうにもならないんですよね・・・?
断ったら、私にはどうしようもないです・・・。お願いします!との事で、生まれて初めて医療の同意書に署名をする(もう字がへろへろでした)。このときは正直びびりました・・・。
そしてまたまた急遽、生まれて初めて、骨髄液の抜き取りを経験。というか、できれば、一生経験しなくても良かったのだが、せざるを得ない。
経験した人はお判りのように、えびのように足を抱え込み、背骨を丸める。まずは痛み止めの麻酔を打ち、その後針を背骨に・・・。
ううっ。思い出した想像だけで、背骨がうずく・・・。
(ちなみに、ここの病院は、痛さに対する技術の取入れが進んでいて麻酔後は、痛さは減りましたが、それより何より、背骨に針が入っていく違和感・嫌な挿入感があり、それがとても辛かったですなぁ・・・ぐぐぐっと背骨にはいる、あの感じ)結局1時間くらいで骨髄液の処置は完了しました。

この結果、蛋白質の上昇と細胞数の変化なしという情報が得られれば、病名の確定につながる(ギランバレーと診断できる)と言うことで、検査結果を待ちました。
が、ここでの結果は蛋白質の上昇はなしと言うことで、病名がまだ確定しませんでした。

その後、今後どうしますか、と聞かれる。退院するか、入院するかとの事。

こちらとしては、歩行もままならないし、退院して他のどこの病院へ行くのか、どうすれば良いかも分からなかったので、入院すれば翌日よりMRIなどの本格的検査が受けられるとの事で入院を決める。
病室は個室(しかなかったので・・・)で、テレビや冷蔵庫などの設備は充実していました(ま、最初の頃はそんなことは一切気が回らず、どうでも良かったのですが。とにかく頭が回ってわけがわからない状態でしたので・・・)。

ここから、いよいよ本格的に、私の闘病が始まったのです。
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
8月27日 日曜日
この段階で、まだ私の病気は確定せず。
この日、MRI撮影をする。

その結果では、脳に血栓等の異常は見られず、脳梗塞・脳溢血ではないかも、との事。
しかし、数日たってから脳に血栓が出る可能性もあり、まだ病名の断定はできないとの事。

どきどきして夜はなかなか眠れない。
体の右側が痺れてしまい、心臓がどきどきする。マイスリーを処方してもらいました(ううっ、今まで生まれてこの方、睡眠薬を服用するなんて自分では考えられなかった、と言うか、むしろ嫌っていたのですが・・・)。以降入院中はデパスとこれを交互で服用していました。当時はとても夜は不安で眠れませんでしたが、それもあって、また体も欲していたのでしょうが余計に昼は眠かったのかもしれません。
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

次のページに続きます!