フィッシャー症候群 闘病日記

2015年9月8日

関係者の皆さまへのメッセージ

この病気にかかって私自身いろいろと経験した中、痛感したことが多々あります。同じような病気にかかった方へのアドバイスに少しでもなればと、まず最初に下記の点をメッセージとしてお伝えしたいです。

病気になった本人の人へ
①この病気は必ず治る病気です。それを強く信じましょう

②ポジティブな情報や言葉は受け入れ、不安な言葉やメッセージは聞き入れない/時によって周りからいろいろ言われるかもしれません。特に家族や知人など、回りも不安になっているため、心配して言ってくれる言葉でも「長く付き合っていく病気だけど、頑張って・・・・」「この先寝たきりになっても、大丈夫だから・・・」などと言われても何の慰めにもなりません。医療の専門家でもない人から、根拠の無い様様な情報を言われても、不安にこそなれプラスにならないことも多いです。良い情報は聞き入れても、ネガティブな情報は自分でも聞き入れないようにしましょう(特に入院初期段階)。「大丈夫、自分は必ず良くなってやるんだ」と、心から強く信じましょう。

③自分の体を良くして行くのは結局自分自身でしかありません。医師も投薬治療も、自分の体を良くする方向性をつけてくれる手助けにはなりますが、あくまで、それらは畑を良くしようと手助けしてくれる農夫の人のようなもので、畑自身、良くなっていくのは自分の体自身なのです。自分の畑(体)の力をどれだけ良くして行くかどうか、自分の体の持っている力を信じてあげましょう!

④入院してからの経過を必ずメモを取る(自分または看病の家族の方)/昨日と比べて症状が良くなったかどうか、私も毎日一喜一憂していました。入院して最初の2週間くらいは病状も悪化していき、それから快方に向かってもなかなか実感できず焦る日が続きました。そんな時、心の支えになったのが、入院してしばらくしてから妻がつけはじめてくれた、手帳につけた毎日の状況の一言メモです。今日はどんな治療をした、病状はどうだった(悪化した、良くなった)、今日は何をしたといったことを1日1日、一言メモをしたものです。これにより、昨日と比べ、症状がちょっと悪くなった感じがしたり、症状の変化が数日感じられず焦ったときも、メモを見返すと、「ああ、1週間前はお手洗いにも行けなかったな」「5日前はまだ5mも歩けなかったのに、今は10mは歩けるじゃないか」といった事が客観的に分かり、非常に勇気付けられました。これはとても大切で、まだ退院して2週間近くたつ現在も活用しています。夜息が荒くなったり不安になるときに見返して、2週間前はこうだったんだ、そのまた2週間前はまだ寝たきりだったんだ、と時間の流れを感じ、快方に向かっていると確信することができるのです。是非、入院中の方もしくは家族の方は、取り入れてみてください。

⑤できる時は気分転換(特に入院中)しましょう。あまり不安な気持ちにさいなまれないようにするのもこの病気には大切なようです。気分転換の一つとして私は宝くじを買うよう何度も妻にお願いし、買ってきてもらいました。普通の宝くじとナンバーズの記入カードを持ってきてもらいました。そして、真剣に番号をイメージして記入したりしました。フィッシャーもギランバレーも、ともに非常に珍しい病気です。年間発症患者の数を考えると、年間に宝くじに当たるより珍しい確率です。もしかしたら当たるかもしれませんよ・・・・(私の当選結果は・・・・内緒です。ま、今も買ってみてますよ。当たっちゃうかもしれませんしね。はい)

⑥入院中、息苦しくなることが多々あり、退院してからもたびたびありますが、今はヨガをちょこっとやりだしたところ、非常に有効なようです。入院中は横になったままでも、呼吸法だけでも取り入れると良いかもしれません。ヨガをしている意識で。目を閉じ、ゆっくり鼻から息を吸い、口から細い息を長く吐き出してみてください。何度か繰り返すと非常に落ち着きますよ!

⑦私は入院中、快方に向かいだしてから、特に、昨日できなかったことをやってみる、ということを自分に課しました。たとえば、昨日5mしか歩けなかったが、今日は10m歩いてみる、今日は下の階へ行って見る、といったふうに、新しいことへチャレンジです。大きな事でなくても、新しくできるとそれが励みになります。そしてそれも記録しておきます。

・ご家族の人へ
①とにかく不安で、この先どうなってしまうんだろうと言う気持ちで一杯だと思いますが、一番不安で心細いのは病人本人です。今まで当たり前でできていたお手洗いや食事、歩行といった動作ができなくなり、非常に不安で辛いのです。本人はうまくしゃべれなかったり寝たきりになったりしますが、脳は正常に動いています。本人に対して「絶対良くなるからね」と強く言い聞かせてください。こういう励ましは、確たる根拠が無くても非常に嬉しく、病気と立ち向かう支えになります。間違っても入院当初から不安になるようなことは病人本人には決して言わないでくださいね。大丈夫です、良くなる、と家族も信じてください。大変な時こそ、前向きな思いを強く持って下さい。心の底から信じて、そして、そう言ってあげて下さい。

②無理の無い看護をしてください。毎日きてくれればそれに越したことはありませんが(病人は不安で、また暇なもんで・・・)、疲れたら休む、早く帰る、などしながら、続けてください。一緒にいるときは明るくしてもらうと、悩んでいる病人も気分転換につながります。

③本人宛のメッセージでも記述しましたが、入院してから本人ができない場合、病状などのメモを取ってください。とっても後で心の支えになりますよ。後々闘病時の情報としても大切な記録になります。

④退院後、仕事の関係で話す機会のあった中国人のお医者さんに教えてもらいましたが、漢方、整体、マッサージ、リハビリ、そして針灸・・・ともに体の免疫を高めると言う意味で同じような効果があるということでした(日本ではまだ社会的地位や認知は低いですが中国では非常に高く認められているというのもそのためです)。私も早速できる範囲で取り入れてやり始めましたが、いずれにせよ、体を刺激してあげることが大切なようです。機会があれば退院してからでも本人にも勧めてあげてください(これは個人の好き嫌いもあるでしょうが・・・私は今まで興味があまり無かったこの分野に意識を向けることができて非常に良かったと今は思っています)。

では、長くなりましたが、さらに長い闘病記を下記に記載します。
お時間があればお付き合いくださいませ・・・。

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序章 2006年

このころ、新しい職場へ転職をいたしました。新しい環境でもあり、多忙ではありましたが、興味のあった仕事内容でもあり楽しくはじめられました。
しかし、入社してしばらくして、風邪を引きました。咳は1ヶ月たっても治らず、熱も出たりしつつ4月、5月と慢性的に咳き込みながらだましだまし働いていました。
6月に入りようやく風邪が治りました。その後7月8月と経ちましたが、8月中旬、ちょうどお盆の頃、また体がだるく熱っぽかったため、クリニックへ行ったところ、37度5分で喉が腫れており、風邪との事で薬をもらい、いつもの夏風邪かと、薬を飲んで様子をみようとおもい、そのまま日々を過ごしていました。
(今までも結構風邪はしょっちゅう引いていたのであまり気にはとめていませんでした)

そんな頃、親族で不幸があり、この夏は私たち夫婦でも心労がかさんでおりました。
そこで、転職したてであまり豪勢にはできなかったのですが、8月25日の金曜日、ちょっとおそい夏休みを取り、金曜日・土曜日を利用して妻と2人で千葉の鴨川へと旅行へ行く計画を立てておりました。その旅行を通して少しでも心の休息が取れればという計画でした。まさかその旅行でこんなことになろうとは、旅行に行く前は夢にも思っていませんでした・・・。

8月24日、旅行前日。その日も普通に目が覚めました。ですが、朝、妙に足の裏が突っ張っており、なんかとても足裏がこっている感覚がありましたが、特に気にはとめず出社しました。
夜は会社の人と食事をしてから帰り、家に帰ったのが12時前後だったかと思います。それから明日の旅行の準備(釣りなどをしようと思っていたので)をし、午前1時過ぎに就寝しました。

そして、8月25日がやってきたのです…。

発症

8月25日 金曜日
朝、6時前に目が覚める。今日は旅行に行くので、近所のレンタカー屋で車を借りていく予定のため、朝早く起床する。
そして、前日に続き、足の裏が張っている感覚があり、妙だなあと思い、以前友人からもらった足裏マッサージ器(くるくる回転するやつです)に足を乗せてみるが、特に変化がないため5分程度でやめて2階へあがり出発の準備をする。階段を上がるときになんだか眩暈を感じるが、軽い寝不足であろうと思いシャワーを浴びる。

そしてタクシーでレンタカー屋へ向かい7時30分頃には手続きを済ませ、車に乗り込む。
いざ、鴨川へ出発 !!!
・・・・・がしかし、車を出してすぐ、やはり視界がおかしいのに気づき、道の傍らへ恐る恐る車を停める。
おかしい、左側がよく見えない。しかもなんだか微妙にふらふらする・・・。
このまま運転をしていったら、事故を起こしかねない・・・・いや、確実に起こすであろう・・・・。
少し休んでみても、目の様子は一向に良くなりそうにない為、やむを得ず、そのブロックをゆっくり一周して車をレンタカー屋へ返し、電車で鴨川へ行くことにしました。
体調はしばらくすれば良くなるかも知れません。まずは計画変更です(快く返車に応じ、費用も不要にしてくださった、トヨタレンタカー吾妻橋支店の方々、本当にありがとうございました)。
そこで、電車で行くには荷物が多すぎたため、またタクシーで一度家に帰り、残念でしたが釣具など大きな荷物を一度家においてから錦糸町へと向かいました。

そして、千葉・房総周遊切符というお得な切符のことを窓口で知り、それを購入して、一路、鴨川へ向かいました。しかし、体の具合は相変わらず悪く、東京駅で急行に乗り換えましたが、そこから鴨川へつくまで、ずーっと私は寝ていました。

気づいたら鴨川へ到着していました。そこで、電車を各駅停車に乗り換え、目的地の隣駅の「太海」に着きました。

予定では、この駅から側の海へ出て、仁右衛門島という島へ渡り、シュノーケリングや釣りをするはずでした。ですが、駅の改札を出る時点で、私はすでに足腰がうまく立たずフラフラで、妻に肩を貸してもらいながら歩いている感じでした(なんとか一人でもまだ歩いたりはできましたが・・・)。
そこで、妻が駅員さんと掛け合い、近所にお医者さんはないかと尋ねましたところ、地元の内科の診療所を案内されました。
しかし、さすがにその頃になると、私も自分自身がただの風邪などではないと気づいていましたので、妻と二人で、もっと大きな病院はないかと聞くと、
「ああ、じゃあ、亀田総合病院があるよ」との事、私もこの病院は有名なので以前から知っていたため、急遽そこに行くことにしました。

そして、そこから駅員さんに案内されたバスに乗り(これも周遊券で乗れました・・・)、行き先は島から病院に変更となりました。

病院では、症状を説明し、ソファーで横になりぐったりしていました・・・。その間、妻も私の様子がおかしいことを看護婦さんへ伝えたところ、急患という感じで早めに順番をしてもらいました。それからは、CTを撮り、その後神経内科の先生が対応してくれました。

そこでは先に白いゴムの付いたハンマーのような器具で、手足を叩かれ、反射を見ていただいたあと、目の動きをチェックした後、私たちは旅行で鴨川へきたことを先生へ伝えると下記のように言われました。
「CTの結果では脳梗塞などの兆候は見られないため、おそらくウィルス性のものだと思う。多分それらのものが脳に入ったのであろうと思うが、今後具合が悪くなるようであれば救急で来院してください」
この時点では、私も自分の体に何が起こっているのかまだ良くは把握していませんでしたが、ひとまず病院を出て、予約していた宿泊先へ向かいました(アラビア風の宿でネットで宿泊予約をしたところでした)。
バスで近くまで向かい、近くのバス停で降りて宿に電話して道を聞きました。具合が悪かったので迎えにきてくれないかとお願いをしてみたのですが、冷たく断られました(いろいろ忙しいのだとは思いますが、せめて心配してもらえるような言葉がけがあればいいのですが・・・もう二度とここへは行きません)。結局ふらふらと、でもまだこのときは自分の足で歩いて山道を登りました(よろよろしながら2キロくらい歩いたと思います・・・)。

宿へ付くと部屋は3階で、エレベーターがない為、ふらつきながら部屋へ昇りました。
そのまま私はバタンキュー。夕食まで寝ていました。

夕食で目を覚まし、また1階まで、恐る恐る階段を下りました。夕食はアラブ料理のコース料理で、本当なら、ビールかワインでも飲みながら楽しく食べるはずでしたが、結局体調が悪いため、食べるのに必死でした。
食事内容もあまりぱっとせず(?)、今となってはモロヘイヤのスープを飲んだことだけ、印象に残っています・・・。

その後、お風呂に入った後、私はすぐに寝てしまいました。

明日は良くなっていると願って・・・・。

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