フィッシャー症候群 闘病日記

2015年9月8日

中々でない確定診断

8月31日 木曜日
この日、妻が担当の先生に依頼して時間を作ってもらい、私の両親や姉など親族も呼んでインフォームドコンセントをしてもらうことになりました。私の病室に皆が集まり、先生の到着を待ちました。
時間が来て、先生が部屋に入ってきました。
まだ病名がはっきりしていなかったので、私も含めて先生から説明があるのでしょう・・・・・

かと思いきや、
「じゃ、家族の方は皆さんこちらへどうぞ・・・」と先生。
おい・・・、
オイィィィィィィィィィ !!!
なんじゃぞりゃー !!! と、私は心の叫びを絶叫しました(心の中で、ですよ、もちろん)。

私もいろいろと自分のことだし、一番直接聞きたかったのに、
ま、後で聞くしかないか。うーん・・・

と自分に言い聞かせ待ちました。
そして待つ間、時間が過ぎました。

10分、20分・・・
いやに遅いなぁ。話が盛り上がっているのだろうかなぁ・・・。

30分、40分・・・
おかしい、おかーすぃいではないか・・・。
なんかあったのであろうか・・・

50分・・・
もう、確実だ。私はこのまま寝たきり、もしくは最悪の場合・・・。
そして、先生から話を聞いた家族は泣き叫び、もめているに違いない。きっとそうだ。
そうでないと、いくらなんでもこんなに遅くなりようがない。

そして、皆が出て行って1時間くらい経ちました。
その間、私は本当に生きた心地がしませんでした。

きっと、病室に家族が入ってくるときは、妻も涙を拭いて、私に悟られないように、笑って入ってくる、そうしようと決めて、皆で帰ってくるに違いない・・・最後はそう真剣に思っていました。

果たして、1時間過ぎ、病室の入り口に人の気配がしました。
そして、ドアが開き、案の定、妻と私の両親や姉たちが、笑いながら病室に入ってきたのでした。

「ああぁ、思ったとおりになってしまった・・・」
このときは本当にそう思いました。
その後、どうっだったのか、妻に聞いたところ、
「先生が一生懸命説明をしてくれて思わず時間が経ってしまった。先生はイラストで図解しながら私の病状と今後の方針などを親切に説明をしてくれたんだ」
とのこと。何度も本当かと確かめ、気が気でなかった私は、父に、
「その話は本当か?男として私の目を見て本当だって言えるか!?」
と、父の手を握り聞きました。そして、その話が本当だと信じるに至り、初めてとりあえず安堵することができました。

病気になった際の家族の皆さん、そして先生方にも、お願いです。
患者本人は、頭ははっきりしています。できればインフォームドコンセントは本人の前でお願いしますし、できない場合は、長くなるようであれば、病人本人にも、是非、途中報告をお願いします!
皆も必死で大変でしょうが、本人が一番デリケートで真剣に悩んでいますので。私のような状況になると非常に心配になってしまいますので・・・はい。

さてそして、この日の先生の話では、私の病状は、まだ断定は出来ないけれど、
フィッシャー症候群
ビッカーシュタッフ脳幹脳炎
2つの特徴があるので、この間の可能性が高い(併発であろう)、と言うことでした。
これは、ギランバレー症候群の亜種で、治療法は、
大量免疫グロブリン療法
血漿交換
ステロイド投与
があげられますとの事で、この時点で、先生としては血漿交換をして行こうと考えていると言うことでした(事実後日そうなっていきました)。
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9月1日 金曜日
病室を移動しました。差額ベット代の負担が軽減される部屋に移れました。ラッキーでした!
このあと、できるだけここにいられるように連日、担当医の先生、病棟の先生、看護婦さんへと頼む日が数日続きました。何事もアピールも大切ですからね・・・。

この頃、やっと入院以来初のシャンプーを体験。といっても、動かない体をストレッチャ-に乗せ、移動してシャワー室で看護士さんに洗ってもらいました。

ですが、気分はサイコーにすっきりしました。なんせ頭が痒くて・・・つらかったので。

しかし、病状は相変わらず自分ではたって歩けない。つかまりながら2,3mもいけるかどうか。
この頃から2,3日間間、症状悪化状態のピークになってきた。しんどい。

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9月2日 土曜日
このころは相変わらず、ぐたぐたです。
寝たきりで体調は一向に良くなりそうにありません。しゃべることはできるのですが、目も複視でテレビを見るくらいしかできません。本も文字が躍ってしまい読めませんでした。
精神的にも厳しい日々が続いていました。
実際、一番つらかったのは、はっきりとは病名が断定されなかったことです。

後で分かったのですが、これらの病気は特定・断定が難しく、唯一(?)、症状や患者の自覚症状以外では脊髄液の検査で蛋白質上昇と細胞数の関連で判別ができるようですが、それ自体が私は期待していたような想定した数値が得られず、というか値が普通のままだったため、他の病気の可能性もあり、先生方はいろいろと想定して検査・診断を慎重に進めていてくれていたということでした。ただ、結局、私はこのあとさらに病名特定のために合計3回骨髄液を抜いて検査をしたのですが、蛋白質上昇などの予期していた結果は出なかったです。検査の回数を重ねるごとに、「なんとか蛋白質上昇の結果が出て病名がはっきりしてほしい・・・」と願ったのですが、期待に反した結果で非常に気を落としたのを覚えています。はっきり言って、なかなか病名断定ができなかったので気持ちがすさんでいきました・・・。
もっとも、先生も言っておりましたが、「フィッシャーでも蛋白質上昇が見られない場合もあるから・・・。あなたの場合は症状など総合的に見てフィッシャー症候群とビッカーシュタッフ脳幹脳炎の間と言うことで、一般的にはフィッシャー症候群という診断になりますよ」と何度も言ってはくれていましたが、素人の私的には「だってまだ結果、証拠が出ていないのではっきりしないじゃないか・・・」と内心非常に不安な日々が続きました。これは入院してから2週間過ぎまで、続いていました。ですが、退院してから自分でもいろいろとホームページなどで調べてみると、確かに多くの例では蛋白質上昇などの結果が病名確定に利用されるそうですが、私のように検査で異常が認められない例も2,3割程度あるようだとの記述を見つけることができ、今となってはそのときの先生の判断が正しかったんだと私も思えるようになり、良かったと思っています。

また、病状がはっきりしないことの不安はありましたが、入院してから一貫して、K先生が、私と妻に向かって、「大丈夫、この病気は必ず良くなりますよ。予後はいい病気ですから・・・」
と言ってくださいました。これには非常に勇気付けられました。
※その後もいろいろな病院でお医者さんにお世話になってきましたが、ほとんどの医師は、リスクを考え、断定はしないことが分かりましたが、この時の主治医のK先生は、「大丈夫!」と言い切ってくれたのが、本当に心の支えになりました。技術や知識だけではなく、心を持ったお医者様だと痛感しました。
本当にありがとうございました。

また、私も患者として、先生やスタッフの方々を心底信頼していかなくてはいけない、と強く心に思い、妻と話していて、「チームき●ら」(先生の名前です・・・)と、神経内科の先生や病棟の先生方、看護士さんたちの私を見てくれている方々に名前をつけ、「チームき●ら」の言うことを聞いていれば大丈夫だ、と強く思うことに決めました(ちょうど以前はやったドラマ「医龍」のバチスタチーム「ドラゴン」みたいな感じですね。今これを読んでいる入院中の方やその家族の方がいらっしゃれば、この、勝手にチーム化して名前付けちゃう作戦、やってみてはいかがです・・・?なんか前向きになれる気がしますよ!)。

その後、なかなか病名がはっきり決定しなかったり、病状が改善しないときも、妻と二人で、「私たちにはチームき●らが付いているから、絶対大丈夫!」とこっそり2人で励ましあったりしていました。暗い話題しかなかなか出てこない状況の中で一つのごっこ遊びみたいな感じですかね。

来週から本格的に治療を開始します、とK先生より伝えられ、とてもほっとしました。
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