私の中の獣 〜多動という名のギフト

2020年9月13日

私は今までいろんな仕事やアルバイトをしてきた。これは自分では昔は「好奇心旺盛の表れで、しかもいろんな面接に合格できる自分、すごい」と自己肯定していた面でもあり、それらの経験は自分にとっていろんなスキル習得ができたプラスな面だと強く考えて生きてきた。事実、面接などは非常に自信があり、「自分を売り込むこと」は得意な領域であった。また、転職した後の仕事でも持ち前の過集中という高い集中力と多動性という行動力のおかげで早い段階で高いアウトプットや結果を出すことが多くあった。しかしその後に結局転職をすることになっており、今になって思うのはこのころの自分は自分のことを本当に理解できておらず、自分の中の獣をコントロールできていなかった事、そして正しい現状や自己分析ができていなかったり、論理的な思考に基づく行動にかけていたため、失敗を繰り返してしまっていたのだと思っている。まあ、そのおかげで今の自分という人間と人生が出来上がっており、今の家族や生活があるのだからすべてが悪いというわけではなく、今は満足しているのだが、もっと早くこのことに気づいて行動を変えていればより生きやすい人生を送れたと思う。

20代から30代中盤までの間、新しい会社が決まったときは、
・転職に成功した喜び
・これから始まる新生活への期待と野望
に満ち溢れ、その後数ヶ月や数年の間に自分の不甲斐なさや、思っていた環境と違うことに対する不満、これからずっとこの仕事や生活を続けていくことに対する苛立ちなどが無いまぜになって転職を繰り返した。

自分に対する自信、学生時代以前までの漠然とした肯定感や未来への希望が、社会に出て転職を繰り返す度に摩耗してすり減って行った。
転職の度に、選べる会社の規模が小さくなり、相手にしてくれる転職エージェントが少なくなるなかで再認識せざる得ない自分の転職市場における転職人材としての商品価値の低下。
私は根っからのポジティブ思考であると自負しているのだが、そんな自分でもいくら、「まだこれから、大丈夫だ!」と自分に言い聞かせても不安でなかなか寝付けない夜もあった。

就職氷河期やリーマンショックの時代にも仕事を転職しようとして無職の時があった。一人暮らしをしていて、まさに「刃物の上を歩いている状態」だったとその時感じていた。しかし、そういったときに、自分自身で諦めてしまっていたら今の自分はいない。何度も面接に落ちていた時に、それでもあきらめず、もっと他の良い会社があるはず、と新しい会社を探して書類を送って転職活動をしていた。これも多動だからできたんだと思うのだけれども、1か月で200社以上に応募して20社以上の転職エージェントに登録して30社以上の面接を受けたりしていた。面接に自信はあるとは言うものの、その頃は転職回数が増えてきて、そこまで活動量を増やさないとなかなか内定どころか面接にも進めない状態になっていた。今でこそ手軽にWEB申し込みで何社も応募ができる時代になっているけれど、15-20年前はその何倍も手間がかかったのでこの件数をこなすのは大変だったが、自分で管理表を作るなどして何とかやりくりをしていた。

この時に強く思っていたことは、
【自分を信じるのは、自分しかいない】
という事であった。「私ができることに興味を持ってくれて、わたしという人材を欲しいと思ってくれる会社が、必ずある。今日の会社がだめでもそことは縁がなかっただけ、世の中にはたくさんの会社があるのだからもっと多くの会社と出会わないと道は開けない!」と強く自分に念じて転職活動を戦っていた。「自分で、自分を諦めない」事が非常に大切だと思った。

家族や周りからいくら諭されたり、諦めるようなことを言われても、自分自身について、今までやってきたことや自分の能力まで自信を無くしては、これからの転職活動や人生を戦っていくことは出来ないとの思いで大量の応募書類を作成して送っていた。もしこの時、「どうせ自分なんか、どこにも良いところには就職できないんだ」、と「自分の力や可能性を信じない」ようになってしまっていたら、おそらく人生は大きく変わっていたことと思う。

この頃、転職活動の中で面接したある大きな会社の管理職の人に言われた言葉がこの頃の私を変えて、その後の人生にも影響を与えてくれたという出来事があった。
この時はその企業の二次面接か三次面接で、私も意気揚々と自信を漲らせて面接に臨んだ記憶がある。
その人は、私が今まで転職や起業しては辞めたりしてきた半生について、ポジティブで耳障りの良い言葉で説明していたことに対して、静かに、そして腹にずしりとくる声色で
・そんな話は嘘くさいよね
と指摘した。
それまで、自分はポジティブに生きてきた、今までの失敗もプラスにしていくんだ、と考え、思い込もうとして生きてきた。
しかし、面接の場で、スバリと、今までの自分の生き方は「失敗」だった、と突きつけられた気がした。
焦った。
唐突に思わぬ角度から心臓を抉られた気がした。
その面接ではその後、私はしどろもどろに言い訳や屁理屈をしながら回答し、なんとかこの人の言うことに対して反論しよう、そしてこの会社に合格したい、と戦った。
結局、この面接は不合格だった。
しかし、この方は、単に私の話を聞いて、心で不合格にして面接を早めに切り上げれば良かったのに、この時、しつこく食い下がろうとした私に対して、時間を割いて真摯に対峙して応対をしてくれた。
面接が終わりその会社を出たときに、私は泣いていた。
涙が目から溢れていた。

それは、この面接官に対して悔しかったからでも、この面接に恐らく不合格となると感じたからでも無い。
むしろ、こんな転職活動の中の一コマの面接のなかで、今まで自分自身が自分を騙して鼓舞しようとしてきた薄っぺらな自尊心を吹き飛ばしてくれた面接官の方に対しての感謝と、そして改めて自分を見つめ直さなくてはいけないということへの恐れ、寂しさからの涙だった。

この出来事をきっかけにして、それまでの自分のしてきたことを今一度深く振り返り、失敗に対しては自分の至らなかった点、出来ていない部分を見つめなおす自己分析をすることができた。その後の転職活動では、今までの自分の社会活動や転職に対し、うわっつらな理由ではなく、正直な自分の言葉で説明をできるようになり、今に至るまで社会で生活することが出来ている。
あの時、あの面接官の方に出会え、赤の他人の私に指摘をしてくれたおかげだと考えている。

 

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