私の中の獣 〜多動という名のギフト

2020年9月13日

それ以降、自分はこの営みを実行するようにしたおかげで、悩まないで生活できるようになった。しばらくこういう思考体験をしていると、そのうち紙にも書かないでこのようなプロセスができるようになった。※まあ、多少の悩みはしますけどね・・・

社会人になってもう20年以上たつが、今でこそこの時のプロセスは課題の対策やロジカルシンキングとして基本的なことだったのだと理解できるが、その時はそんなことは全く考えず、必要に迫られて自分自身で編み出して実行してみたところ、思いのほか自分にとって良かったので、それ以降続けてきている考えかたのベースとなっている。

ただ、この考え方をもってしても、その後の上記に書いたような転職活動や社会生活の中での失敗などは防げないことも多々あった。
そして、面接官の方に指摘された「過去の自分の失敗に向き合うこと」が本当に自分で理解できた後、これらのロジカルシンキングや自己分析、課題分析のやり方が真に効果を発揮し、「私の中の獣」を飼いならせるようになるのだと気づいた。
コントロールである。
しかし、まだコントロールできていない時がある。それが今の私の課題である。

ここまで気づいて思い至るのに、自分の人生の何十年もかかった。

私がこれを書いているのは、「多動」だけではなく、それ以外の多くの人々も、同じように自分のことが本当にわかっていなかったり、現実との乖離に悩んでいる人が多いと思ったから、自分の半生がそういうほかの人たちのこれからの生き方に少しでもヒントになるかもしれないと思った事、と、あとは自分の半生を振り返ってみたいという欲求の表れである。

ここまで自分のことを振り返って、「多動」という言葉を使っているが、実は私はこのことで病院に行ったり診断してもらったことはない。

ただ振り返るとそういう傾向が強く自分にもあり、インターネットでもASDやADHD、LDなどの情報があふれている昨今、自己分析として冷静に振り返ったときに感じている事であった。しかし、それはなにも自分にとってはマイナスなことではなく、あくまで自分の特性、個性の一つだと、周りや親に言われるのではなく、自分自身で思っている。

世の中にも、多動でもビジネスで大成功した人は多くいるといわれている。
むしろ営業や企画、コンサルなどの面でもその特性を生かして活躍できるともいわれている(私自身そう実感もしている)。人によってその症状のあらわれ方は異なり、程度の差もある。しかし、それは何もこういう症状を持っている人だけに限らず、すべての人が知能や性格、得意なことや不得意なことがあるのとまったく同じである。向いている仕事だって、人それぞれ。ただ、自分にとっては、昔から興味があった絵を描くことやプログラミング、文章を書くことなどのクリエイティブな仕事をしていくことができたら、性に合っていたんだとは思っている。まあ、今は表向きそういう仕事とは畑が違うことを生業にしているけれど、どんな仕事の中でも自分の好きなクリエイティブな面は発揮できるし、事実しているので自分の創造欲求は満足させられている。多動にかかわらず、自分の特性や武器をよく理解して、得意な領域を伸ばして戦うことは戦法の基本であり、普通の人でもできていない人が多く、これは発達障害云々の話ではないと思う。
どう、自分を理解して、どう生きていくか、だけの話である。

また、普段自分では「自分は多動だから・・・」と考えたことはあまりない。というより、むしろ「多動だからできない」という言い訳にしたくないという考えもある。よく言われるが、病名診断をしないほうが良い、という話がある。これに関しては人それぞれであるし、診断を下してもらうことで薬をもらえたり、対処方法がわかったりすることで助かる面も多いと思います。しかし、症状の程度にもよるのでしょうが、その病気のせいで出来ない、と思ってしまうとその先に、もしかしたらやり方を変えたり努力し続けることで変わるかもしれない未来に蓋をしてしまう、可能性を消してしまうこともあるのです。このことは、今、多動症のお子さんを抱えて悩んでいるご両親や、大人になって自覚している方に、「多動症と思うことはやめろ」と言っているのではありません。ただ、実際は世の中には目が見えない人や手足がない人、そのほか様々な病やハンデを持った人が多くいますが、そういう人たちの中でも、未来や自分に対してあきらめない人たちは幸せに暮らしたり成功している人も数多くいます。逆に、「普通の人たち」(っていうのも変ですが、あえて「多動症」の人とそれ以外の人を明確にするうえで書いています)も、出来ることや出来ないことがいっぱいあります。多動症のお子さんを持っている親御さんであればわかってもらえると思いますが、そのお子さんが自分やご家族より秀でた面や、良い面もたくさんあると思います。大人の方でも、自分が他の人より好きなことや得意なこともあるでしょう。そういう面を「武器」として自覚し、自信をもってもらいたい、そして、出来ないことは「楯(知恵・ライフハック)」でカバーすることを徹底して覚えて実践していってもらいたいと思っているのです。「普通の人たち」でもすぐ諦める人もいれば、人生に失敗したり不幸になってしまう人は多くいます。何も「多動症・ADHD」だから、できない、ダメなんだ、と最初から思ってほしくないということをお伝えしたいのです。

私がこのように自信をもって言い切れるのは、いろいろ過去があったけれども、常にどん底にいてもあきらめずに、しぶとく未来を見据えて、自分で変えるべきことはしなやかに素直にチェンジしようとしてきて、その結果今があるからだと思っていますし、自分自身経験してきたからこそなんです。
(自画自賛したいから言っているわけではないです。常に冷静になったり客観的に論理的に判断することが重要だと、今までの波乱万丈な失敗を含めた人生の中で学んで、それを実践してきたつもりであるし、その結果含めて同じように迷っている人がいたら伝えたい思いで書いている・あと、あきらめなければ、最後に成功すればいいのである。)

以前いたベンチャー会社の社長が、よく言っていた言葉がある。
「過去は変えられない。でも未来は変えられる」ではなく、「過去は変えられる」
この意味は、タイムマシンがあるということでも、過去のことを嘘をつくという意味でもない。
いま、これから、自分がどう生きていくか。それによって、過去の自分の失敗や反省も含め、それらの蓄積で現在があり、未来がある。
つまりこれからの自分の頑張りが、過去の自分の汚点や忸怩たる思い、いまいちいけていなかった出来事や失敗、現状があったとしても、これからの今の努力でそれらの過去さえも必要だった今までの自分につながる一本の人生であり、これからの頑張りで過去を含めてよい方向にしていくことができる・・・・・ということなんだと、自分では解釈して、今までの人生でも役立てさせていただいてきた。

30代半ばに、私は一度大きな病になったことがある。

フィッシャー症候群という病気だった。

その頃のことは下記に闘病記を書いているので、もし時間がある方は読んでもらえたらうれしい。

フィッシャー症候群 闘病日記

振り返ってみると、この経験も、その当時は自分の中の衝動や焦りを頭が正確に認識しコントロールできていなかったため、気持ちでは「大丈夫、俺はまだやれる」と思ってシャカリキにやっていたのが、どこかで体が「No!」のサインを出したのかとも思っている。この病気の経験がその後の私にも大きく影響を与えたのは事実で、その後も元気になった後はそれなりに、というかかなり熱を入れて行動をしたり仕事もしてはいるつもりであるが、心ではいつも「無理はしない。ダメなこともある」と思っているし、適度にメリハリをつけたり、手を抜くことも覚えた。

「ラストストロー」という言葉を皆さんはご存じであろうか?「ストロー」とは、藁(わら)のこと。中東の言葉で、「ラクダの背中に1本づつ藁を載せていく。藁は軽いのでラクダは全然平気なのだが、その藁が1000本、1万本とどんどん増えていく。そして、最後の1本がラクダの背中に乗ったとき、ラクダの背骨が折れてしまう。その最後の一本の藁をラストストローという。」という意味の言葉である。この言葉を聞いたとき、「心が大丈夫でも、頑張りすぎていることを自覚していないと、どこかでぷつんと、体が大丈夫でなくなることがある」事をとても強く意識した。

多動であるが故、いろんなことに挑戦したり、非常に高い集中力で物事に当たることも多いが、とはいえ、休んだり手を抜くことも非常に重要だと今は思っている。

人生何事もバランスが大切、ということですね。

 

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