ネオ・コロナ時代のライフハックWEBマガジン【東京ファミリーライフ】

私の中の獣 〜多動という名のギフト ①

私の中の獣 〜多動という名のギフト ①

最初に下記から読んでください。

吾輩は、多動である


私の中には、獣がいる。
普段の自分とは異なる生き物がいる。

その獣を自分で飼い慣らして生きてきた。
小さい頃の私は、なんだか落ち着かず、振り返って考えると、頭の中がなんだか「シャカシャカ」していた気がしている。
小学生のころまでは、親の転勤で何度も引越しを繰り返していたこともあり、私の落ち着きの無さは、1〜2年ごとの転校やそれに伴う学校生活や友達、習い事などの再構築には逆にプラスに働いていたと思うし、あまり目立たずに親や周りにも特段異常とまで認識すれずに成長してこれたのだと思う。

そして中学生になる頃には、その獣は自分と一体化が進み、表面にはあまり出てこないで、心や脳の深い所に居場所を見つけて普段はそこで微睡ながら、私と一緒に成長してきた。

私は昔から、好きなことには人一倍、どころか人十倍くらい集中力が高くなる特性がある。過集中、である。

絵を描くことや、物を作ることも昔から好きだった。
小学生高学年になり、その頃流行っていて私が欲しがっていたパソコンを親が買ってくれてプログラミングにハマった。
購入してくれたパソコンがSONYのSMC-777と言う、周りの友達の持っていたPC-8001やMZ-2000といったポピュラーな機種ではない高機能だけどマニアックな機種だったこともあり、ゲームの貸し借りなどが出来なかった影響もあったと思う。結果、自分で考えてコマンドブックを調べながら夜中までオリジナルのプログラムを作ることに没頭していた。そうして作ったレースゲームなどのプログラムは中学生の頃にはBasicMagagineと言う月刊誌に何度か掲載されたり、同じ機種を持つ大人の人達の同人誌にキャラクターエディターやらアドベンチャーゲームエディターのプログラムを載せてもらうなどのレベルまで自己成長していた。このままいっていたらプログラマーやエンジニアを目指していたと思う。というかその頃は漠然とそういう職業にあこがれも持っていた。
今にして思うと、これらの集中力も、私の中の「獣」の特性の影響があったのだと思う。

その後、高校生になり、私の周りの流行に流されて私自身の興味も変化し、プログラミングからバンド活動やテニスなどの趣味にシフトした。80年代終わりから90年前半のバブル時代に高校生活から大学生活までの青春時代を謳歌し、バブル崩壊と共に大学を卒業した。
丁度、就職氷河期が始まる年に私は社会に放出された。

私の中の獣 〜多動という名のギフト ②
私の中の獣 〜多動という名のギフト ③
私の中の獣 〜多動という名のギフト ④
私の中の獣 〜多動という名のギフト ⑤