私の中の獣 〜多動という名のギフト ④

2020年9月13日

ここまで自分のことを振り返って、「多動」という言葉を使っているが、実は私はこのことで病院に行ったり診断してもらったことはない。


ただ振り返るとそういう傾向が強く自分にもあり、インターネットでもASDやADHD、LDなどの情報があふれている昨今、自己分析として冷静に振り返ったときに感じている事であった。しかし、それはなにも自分にとってはマイナスなことではなく、あくまで自分の特性、個性の一つだと、周りや親に言われるのではなく、自分自身で思っている。


世の中にも、多動でもビジネスで大成功した人は多くいるといわれている。
むしろ営業や企画、コンサルなどの面でもその特性を生かして活躍できるともいわれている(私自身そう実感もしている)。人によってその症状のあらわれ方は異なり、程度の差もある。しかし、それは何もこういう症状を持っている人だけに限らず、すべての人が知能や性格、得意なことや不得意なことがあるのとまったく同じである。向いている仕事だって、人それぞれ。ただ、自分にとっては、昔から興味があった絵を描くことやプログラミング、文章を書くことなどのクリエイティブな仕事をしていくことができたら、性に合っていたんだとは思っている。まあ、今は表向きそういう仕事とは畑が違うことを生業にしているけれど、どんな仕事の中でも自分の好きなクリエイティブな面は発揮できるし、事実しているので自分の創造欲求は満足させられている。多動にかかわらず、自分の特性や武器をよく理解して、得意な領域を伸ばして戦うことは戦法の基本であり、普通の人でもできていない人が多く、これは発達障害云々の話ではないと思う。
どう、自分を理解して、どう生きていくか、だけの話である。

また、普段自分では「自分は多動だから・・・」と考えたことはあまりない。というより、むしろ「多動だからできない」という言い訳にしたくないという考えもある。よく言われるが、病名診断をしないほうが良い、という話がある。これに関しては人それぞれであるし、診断を下してもらうことで薬をもらえたり、対象方法がわかったりすることで助かる面も多いと思います。しかし、症状の程度にもよるのでしょうが、その病気のせいで出来ない、と思ってしまうとその先に、もしかしたらやり方を変えたり努力し続けることで変わるかもしれない未来に蓋をしてしまう、可能性を消してしまうこともあるのです。このことは、今、多動症のお子さんを抱えて悩んでいるご両親や、大人になって自覚している方に、「多動症と思うことはやめろ」と言っているのではありません。ただ、実際は世の中には目が見えない人や手足がない人、そのほか様々な病やハンデを持った人が多くいますが、そういう人たちの中でも、未来や自分に対してあきらめない人たちは幸せに暮らしたり成功している人も数多くいます。逆に、「普通の人たち」(っていうのも変ですが、あえて「多動症」の人とそれ以外の人を明確にするうえで書いています)も、出来ることや出来ないことがいっぱいあります。多動症のお子さんを持っている親御さんであればわかってもらえると思いますが、そのお子さんが自分やご家族より秀でた面や、良い面もたくさんあると思います。大人の方でも、自分が他の人より好きなことや得意なこともあるでしょう。そういう面を「武器」として自覚し、自信をもってもらいたい、そして、出来ないことは「楯(知恵・ライフハック)」でカバーすることを徹底して覚えて実践していってもらいたいと思っているのです。「普通の人たち」でもすぐ諦める人もいれば、人生に失敗したり不幸になってしまう人は多くいます。何も「多動症・ADHD」だから、できない、ダメなんだ、と最初から思ってほしくないということをお伝えしたいのです。

私がこのように自信をもって言い切れるのは、いろいろ過去があったけれども、常にどん底にいてもあきらめずに、しぶとく未来を見据えて、自分で変えるべきことはしなやかに素直にチェンジしようとしてきて、その結果今があるからだと思っていますし、自分自身経験してきたからこそなんです。
(自画自賛したいから言っているわけではないです。常に冷静になったり客観的に論理的に判断することが重要だと、今までの波乱万丈な失敗を含めた人生の中で学んで、それを実践してきたつもりであるし、その結果含めて同じように迷っている人がいたら伝えたい思いで書いている・あと、あきらめなければ、最後に成功すればいいのである。)

以前いたベンチャー会社の社長が、よく言っていた言葉がある。
「過去は変えられない。でも未来は変えられる」ではなく、「過去は変えられる」。
この意味は、タイムマシンがあるということでも、過去のことを嘘をつくという意味でもない。
いま、これから、自分がどう生きていくか。それによって、過去の自分の失敗や反省も含め、それらの蓄積で現在があり、未来がある。
つまりこれからの自分の頑張りが、過去の自分の汚点や忸怩たる思い、いまいちいけていなかった出来事や失敗、現状があったとしても、これからの今の努力でそれらの過去さえも必要だった今までの自分につながる一本の人生であり、これからの頑張りで過去を含めてよい方向にしていくことができる・・・・・ということなんだと、自分では解釈して、今までの人生でも役立てさせていただいてきた。

30代半ばに、私は一度大きな病になったことがある。

フィッシャー症候群という病気だった。

その頃のことは下記に闘病記を書いているので、もし時間がある方は読んでもらえたらうれしい。

フィッシャー症候群 闘病日記

振り返ってみると、この経験も、その当時は自分の中の衝動や焦りを頭が正確に認識しコントロールできていなかったため、気持ちでは「大丈夫、俺はまだやれる」と思ってシャカリキにやっていたのが、どこかで体が「No!」のサインを出したのかとも思っている。この病気の経験がその後の私にも大きく影響を与えたのは事実で、その後も元気になった後はそれなりに、というかかなり熱を入れて行動をしたり仕事もしてはいるつもりであるが、心ではいつも「無理はしない。ダメなこともある」と思っているし、適度にメリハリをつけたり、手を抜くことも覚えた。

「ラストストロー」という言葉を皆さんはごぞ時であろうか?「ストロー」とは、藁(わら)のこと。中東の言葉で、「ラクダの背中に1本づつ藁を載せていく。藁は軽いのでラクダは全然平気なのだが、その藁が1000本、1万本とどんどん増えていく。そして、最後の1本がラクダの背中に乗ったとき、ラクダの背骨が折れてしまう。その最後の一本の藁をラストストローという。」という意味の言葉である。この言葉を聞いたとき、「心が大丈夫でも、頑張りすぎていることを自覚していないと、どこかでぷつんと、体が大丈夫でなくなることがある」事をとても強く意識した。

多動であるが故、いろんなことに挑戦したり、非常に高い集中力で物事に当たることも多いが、とはいえ、休んだり手を抜くことも非常に重要だと今は思っている。

人生何事もバランスが大切、ということですね。

 

話しは変わるが、今、私はとある企業の管理職として働いている。
会社自体はホワイト系企業で、1分の残業から残業代も支給してくれる(まあ、管理職は別であるが・・・)。
ただ、その中に置いて、自分はかなりブラックな、というか、夜遅くまで課題があれば時間を惜しまず働いている。ま、自分は根っからのワーカホリックなんだと思っている。
そういう働き方が好きなのだからしょうがないのか、だから今のポジションになれたのかはさて置き、20代から30代中盤までいろんな仕事をしてきたが、結果それらのことも含めて今の自分がある、と言えるようにはなれたと思う。(これからは分からない。それも今の自分次第)

一見普通の会社に今は勤めていて、普段の仕事の中では、まれに攻撃的な自分の内面の獣を意識することもあるが、普段においてはほかの人よりも穏やかで温和なキャラクターで通っている・・・と自分では思っている。そして私より何倍も、他者に対して攻撃的であったり、他者を追い落とそうとする人間、利用しようとしているのがあからさまな人間が会社の中や世の中には多く存在すると感じる。

私は常々、会社の人たちにも言っているし自分でも思っていることがある。
・人はみな、凸凹である
ということ。


私自身、できないことや人より苦手なことも非常に多い。
時間にルーズだったり、一つのことに集中すると他のやるべきことがおろそかになったり(プライオリティ付けが苦手)、何より人の名前が覚えられない!
これは昔からで、良く、親などにも「それは本当に自分が集中したり好ぎにならないからなだけで、みんなそうなんだよ」と言われたりしていたが、
そうではないレベルの問題で、20歳前後のコンパに明け暮れていた青年時代も、大好きになった異性や、まして付き合うことになった彼女の名前でさえ
すぐに忘れて脳の中身からぶっ飛んでしまったりしていたのである。もはややばいレベルでしょ?頭の中に大きな消しゴムがある感覚。
良くこれで大学を卒業できたものであると自分でも思う。
でも、名前ではなく話していたことや情景などは変なことでも細かく覚えているという特性もあったりします。

逆に自分でも自信があることも多い。いろいろ考えたり企画することは人よりも好きだし得意である。
また、フットワーク良く行動力も人の何倍も高いと思う。まあ、多動なんだと後で理解したけれどこれは社会でも生きていくうえで非常に重要な武器になっている。


あと、いろいろ頭の中で考えることができる。これは、小さい頃の頭の中の「しゃかしゃか感」、青年期の「いろいろ手を出し過ぎて頭の中がもやもやこんがる」事にも通じていると考えるが、逆に言うと、考えるスピードが速すぎることがあると思っている。若い頃はそのことにも気づいていなかった。人にもきちんと言語化して説明できなかったし、そもそもそういうことを自分で理解していなかった。
おそらく、今多動で困っているお子さんや大人の人も、実は同じような状態の人も多いと思っている。
そして、これらのことを、ロジックツリーや論理的思考を身に着けていく中で、格段に思考力が身に付き、持って生まれたスピード感が論理思考に乗って動かせるようになってくると、非常に早く多角的に考えて結論を導いていけるようになったと感じている。考え方は、実践していく中で自分のツールとして身につけていくことができる。マーケティングで言うところの「フレームワーク」も非常に有効な思考パターンのツールである。そして、一旦身に着けられると、自然に利用できるようになる。
これは実は、意識してきたのはここ数年のことである。
それまではやみくもにやってきたが、実は多動の人にこそ、論理思考は非常に有効だと考えている。

最近では思考が早くなりすぎて早口が顕著になってしまい慌てて思考スピードを遅くしようとすることもあったりする。

ただ、この考え方を身に着けることができれば、今までできなかったことも筋道立てて思考し、行動することができるようになる。
このことは多動云々にかかわらず、一般の人にも等しく言えることで、多くの人が論理思考を身に着けることで、仕事に限らず日常生活の多くの問題に対処できて幸せに暮らしていけるようになると考えている。
特に多動の人はいろいろ社会の中で生きづらいと感じること、失敗してつらいと思うことも多いと思うが、この思考力と客観性、自己を振り返って反省する事(自己分析)をすることで、今後の本当の自分の課題も見えてくるし、そこに対してどう選択していくかの判断が適切にできるようになると思う。

とまあ、自分自身でも凸凹があるが、その中で、「自分の武器、鉾や槍、剣(得意なこと)を良く認識しそこを前面に出していくこと、そして楯、防御(苦手なこと)も同じく正しく認識し、どうガードしながら育成したり、カバーすれば生きていけるか、やっていけるかを常に考えること」が大切であると今は実感している。
これは私自身が今まで生きてきて痛感している事である。

吾輩は、多動である