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フィッシャー症候群 闘病日記

      2017/07/15


※これは、昔、経験した内容の闘病日記です
以前のブログがパスワードがわからなくなり(当時使っていたメルアドももう使えない)、管理している会社に連絡するもなしのつぶてだったのでこちらに掲載しました
同じような病気や悩みを抱えている方がいれば、参考や勇気づけになれば幸いです!
今は私も元気です!(ちょっとたまにしびれが気になる程度、でもそれが当たり前になってます)
今、闘病されている人も、頑張って治療に集中し、近い将来、また元気になるぞ、と思い続けてもらうきっかけにしてもらえればうれしいです。

ちなみに、文章、長いです。

※退院後に行った玉川温泉についてはコチラ!すごい秘湯でしたがお勧めですよ!
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ミラーフィッシャー症候群。年間日本人のうち100名程度がかかるという難病です。
ギランバレー症候群の亜種とされ、症状としては、目が動かなくなったり、身体がふらついてうまく歩けなくなるなどがあげられます。

2006年8月、私はこの病気にかかりました。
担当の医師の診断では、当初ギランバレー症候群を疑い、その後フィッシャー症候群とビッカーシュタッフ脳幹脳炎の中間であろうという結論になりました。
その後の治療の中で、結晶交換治療中にヘパリン起因性血小板減少症が疑われ、投薬を変更して治療を進め、ひと月の入院の後先日退院し、現在にいたります。

ここでは、私のこの病気の発症から現在にいたるまでの経過と、闘病中に気づいた事などを記載し、今までの記録として保存し、また、同じような病気にかかった他の人々への情報提供になればと思います。

この病気に関しての医学的見地からの情報などは、インターネットで他のWebサイトなどでもいろいろ記載されておりますので、そちらをご高覧くださいませ。本文では必要な部分でそれらの情報にも軽く触れる部分はありますが詳細は別途専門のサイトにいろいろと記載されています。

また、8月末の頃は入院したてで記録がなく、一部日程などは記憶をたどって書きました。9月に入ってから妻のメモがあったのでそれをもとに書き綴りました。
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●はじめに
この病気にかかって私自身いろいろと経験した中、痛感したことが多々あります。同じような病気にかかった方へのアドバイスに少しでもなればと、まず最初に下記の点をメッセージとしてお伝えしたいです。

病気になった本人の人へ
①この病気は必ず治る病気です。それを強く信じましょう

②ポジティブな情報や言葉は受け入れ、不安な言葉やメッセージは聞き入れない/時によって周りからいろいろ言われるかもしれません。特に家族や知人など、回りも不安になっているため、心配して言ってくれる言葉でも「長く付き合っていく病気だけど、頑張って・・・・」「この先寝たきりになっても、大丈夫だから・・・」などと言われても何の慰めにもなりません。医療の専門家でもない人から、根拠の無い様様な情報を言われても、不安にこそなれプラスにならないことも多いです。良い情報は聞き入れても、ネガティブな情報は自分でも聞き入れないようにしましょう(特に入院初期段階)。「大丈夫、自分は必ず良くなってやるんだ」と、心から強く信じましょう。

③自分の体を良くして行くのは結局自分自身でしかありません。医師も投薬治療も、自分の体を良くする方向性をつけてくれる手助けにはなりますが、あくまで、それらは畑を良くしようと手助けしてくれる農夫の人のようなもので、畑自身、良くなっていくのは自分の体自身なのです。自分の畑(体)の力をどれだけ良くして行くかどうか、自分の体の持っている力を信じてあげましょう!

④入院してからの経過を必ずメモを取る(自分または看病の家族の方)/昨日と比べて症状が良くなったかどうか、私も毎日一喜一憂していました。入院して最初の2週間くらいは病状も悪化していき、それから快方に向かってもなかなか実感できず焦る日が続きました。そんな時、心の支えになったのが、入院してしばらくしてから妻がつけはじめてくれた、手帳につけた毎日の状況の一言メモです。今日はどんな治療をした、病状はどうだった(悪化した、良くなった)、今日は何をしたといったことを1日1日、一言メモをしたものです。これにより、昨日と比べ、症状がちょっと悪くなった感じがしたり、症状の変化が数日感じられず焦ったときも、メモを見返すと、「ああ、1週間前はお手洗いにも行けなかったな」「5日前はまだ5mも歩けなかったのに、今は10mは歩けるじゃないか」といった事が客観的に分かり、非常に勇気付けられました。これはとても大切で、まだ退院して2週間近くたつ現在も活用しています。夜息が荒くなったり不安になるときに見返して、2週間前はこうだったんだ、そのまた2週間前はまだ寝たきりだったんだ、と時間の流れを感じ、快方に向かっていると確信することができるのです。是非、入院中の方もしくは家族の方は、取り入れてみてください。

⑤できる時は気分転換(特に入院中)しましょう。あまり不安な気持ちにさいなまれないようにするのもこの病気には大切なようです。気分転換の一つとして私は宝くじを買うよう何度も妻にお願いし、買ってきてもらいました。普通の宝くじとナンバーズの記入カードを持ってきてもらいました。そして、真剣に番号をイメージして記入したりしました。フィッシャーもギランバレーも、ともに非常に珍しい病気です。年間発症患者の数を考えると、年間に宝くじに当たるより珍しい確立です。もしかしたら当たるかもしれませんよ・・・・(私の当選結果は・・・・内緒です。ま、今も買ってみてますよ。当たっちゃうかもしれませんしね。はい)

⑥入院中、息苦しくなることが多々あり、退院してからもたびたびありますが、今はヨガをちょこっとやりだしたところ、非常に有効なようです。入院中は横になったままでも、呼吸法だけでも取り入れると良いかもしれません。ヨガをしている意識で。目を閉じ、ゆっくり鼻から息を吸い、口から細い息を長く吐き出してみてください。何度か繰り返すと非常に落ち着きますよ!

⑦私は入院中、快方に向かいだしてから、特に、昨日できなかったことをやってみる、ということを自分に課しました。たとえば、昨日5mしか歩けなかったが、今日は10m歩いてみる、今日は下の階へ行って見る、といったふうに、新しいことへチャレンジです。大きな事でなくても、新しくできるとそれが励みになります。そしてそれも記録しておきます。

・ご家族の人へ
①とにかく不安で、この先どうなってしまうんだろうと言う気持ちで一杯だと思いますが、一番不安で心細いのは病人本人です。今まで当たり前でできていたお手洗いや食事、歩行といった動作ができなくなり、非常に不安で辛いのです。本人はうまくしゃべれなかったり寝たきりになったりしますが、脳は正常に動いています。本人に対して「絶対良くなるからね」と強く言い聞かせてください。こういう励ましは、確たる根拠が無くても非常に嬉しく、病気と立ち向かう支えになります。間違っても入院当初から不安になるようなことは病人本人には決して言わないでくださいね。大丈夫です、良くなる、と家族も信じてください。大変な時こそ、前向きな思いを強く持って下さい。心の底から信じて、そして、そう言ってあげて下さい。

②無理の無い看護をしてください。毎日きてくれればそれに越したことはありませんが(病人は不安で、また暇なもんで・・・)、疲れたら休む、早く帰る、などしながら、続けてください。一緒にいるときは明るくしてもらうと、悩んでいる病人も気分転換につながります。

③本人宛のメッセージでも記述しましたが、入院してから本人ができない場合、病状などのメモを取ってください。とっても後で心の支えになりますよ。後々闘病時の情報としても大切な記録になります。

④退院後、仕事の関係で話す機会のあった中国人のお医者さんに教えてもらいましたが、漢方、整体、マッサージ、リハビリ、そして針灸・・・ともに体の免疫を高めると言う意味で同じような効果があるということでした(日本ではまだ社会的地位や認知は低いですが中国では非常に高く認められているというのもそのためです)。私も早速できる範囲で取り入れてやり始めましたが、いずれにせよ、体を刺激してあげることが大切なようです。機会があれば退院してからでも本人にも勧めてあげてください(これは個人の好き嫌いもあるでしょうが・・・私は今まで興味があまり無かったこの分野に意識を向けることができて非常に良かったと今は思っています)。

では、長くなりましたが、さらに長い闘病記を下記に記載します。
お時間があればお付き合いくださいませ・・・。

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序章 2006年という年
このころ、新しい職場へ転職をいたしました。新しい環境でもあり、多忙ではありましたが、興味のあった仕事内容でもあり楽しくはじめられました。
しかし、入社してしばらくして、風邪を引きました。咳は1ヶ月たっても治らず、熱も出たりしつつ4月、5月と慢性的に咳き込みながらだましだまし働いていました。
6月に入りようやく風邪が治りました。その後7月8月と経ちましたが、8月中旬、ちょうどお盆の頃、また体がだるく熱っぽかったため、クリニックへ行ったところ、37度5分で喉が腫れており、風邪との事で薬をもらい、いつもの夏風邪かと、薬を飲んで様子をみようとおもい、そのまま日々を過ごしていました。
(今までも結構風邪はしょっちゅう引いていたのであまり気にはとめていませんでした)

そんな頃、親族で不幸があり、この夏は私たち夫婦でも心労がかさんでおりました。
そこで、転職したてであまり豪勢にはできなかったのですが、8月25日の金曜日、ちょっとおそい夏休みを取り、金曜日・土曜日を利用して妻と2人で千葉の鴨川へと旅行へ行く計画を立てておりました。その旅行を通して少しでも心の休息が取れればという計画でした。まさかその旅行でこんなことになろうとは、旅行に行く前は夢にも思っていませんでした・・・。

8月24日、旅行前日。その日も普通に目が覚めました。ですが、朝、妙に足の裏が突っ張っており、なんかとても足裏がこっている感覚がありましたが、特に気にはとめず出社しました。
夜は会社の人と食事をしてから帰り、家に帰ったのが12時前後だったかと思います。それから明日の旅行の準備(釣りなどをしようと思っていたので)をし、午前1時過ぎに就寝しました。

そして、8月25日がやってきたのです…。
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8月25日 金曜日
朝、6時前に目が覚める。今日は旅行に行くので、近所のレンタカー屋で車を借りていく予定のため、朝早く起床する。
そして、前日に続き、足の裏が張っている感覚があり、妙だなあと思い、以前友人からもらった足裏マッサージ器(くるくる回転するやつです)に足を乗せてみるが、特に変化がないため5分程度でやめて2階へあがり出発の準備をする。階段を上がるときになんだか眩暈を感じるが、軽い寝不足であろうと思いシャワーを浴びる。

そしてタクシーでレンタカー屋へ向かい7時30分頃には手続きを済ませ、車に乗り込む。
いざ、鴨川へ出発 !!!
・・・・・がしかし、車を出してすぐ、やはり視界がおかしいのに気づき、道の傍らへ恐る恐る車を停める。
おかしい、左側がよく見えない。しかもなんだか微妙にふらふらする・・・。
このまま運転をしていったら、事故を起こしかねない・・・・いや、確実に起こすであろう・・・・。
少し休んでみても、目の様子は一向に良くなりそうにない為、やむを得ず、そのブロックをゆっくり一周して車をレンタカー屋へ返し、電車で鴨川へ行くことにしました。
体調はしばらくすれば良くなるかも知れません。まずは計画変更です(快く返車に応じ、費用も不要にしてくださった、トヨタレンタカー吾妻橋支店の方々、本当にありがとうございました)。
そこで、電車で行くには荷物が多すぎたため、またタクシーで一度家に帰り、残念でしたが釣具など大きな荷物を一度家においてから錦糸町へと向かいました。

そして、千葉・房総周遊切符というお得な切符のことを窓口で知り、それを購入して、一路、鴨川へ向かいました。しかし、体の具合は相変わらず悪く、東京駅で急行に乗り換えましたが、そこから鴨川へつくまで、ずーっと私は寝ていました。

気づいたら鴨川へ到着していました。そこで、電車を各駅停車に乗り換え、目的地の隣駅の「太海」に着きました。

予定では、この駅から側の海へ出て、仁右衛門島という島へ渡り、シュノーケリングや釣りをするはずでした。ですが、駅の改札を出る時点で、私はすでに足腰がうまく立たずフラフラで、妻に肩を貸してもらいながら歩いている感じでした(なんとか一人でもまだ歩いたりはできましたが・・・)。
そこで、妻が駅員さんと掛け合い、近所にお医者さんはないかと尋ねましたところ、地元の内科の診療所を案内されました。
しかし、さすがにその頃になると、私も自分自身がただの風邪などではないと気づいていましたので、妻と二人で、もっと大きな病院はないかと聞くと、
「ああ、じゃあ、亀田総合病院があるよ」との事、私もこの病院は有名なので以前から知っていたため、急遽そこに行くことにしました。

そして、そこから駅員さんに案内されたバスに乗り(これも周遊券で乗れました・・・)、行き先は島から病院に変更となりました。

病院では、症状を説明し、ソファーで横になりぐったりしていました・・・。その間、妻も私の様子がおかしいことを看護婦さんへ伝えたところ、急患という感じで早めに順番をしてもらいました。それからは、CTを撮り、その後神経内科の先生が対応してくれました。

そこでは先に白いゴムの付いたハンマーのような器具で、手足を叩かれ、反射を見ていただいたあと、目の動きをチェックした後、私たちは旅行で鴨川へきたことを先生へ伝えると下記のように言われました。
「CTの結果では脳梗塞などの兆候は見られないため、おそらくウィルス性のものだと思う。多分それらのものが脳に入ったのであろうと思うが、今後具合が悪くなるようであれば救急で来院してください」
この時点では、私も自分の体に何が起こっているのかまだ良くは把握していませんでしたが、ひとまず病院を出て、予約していた宿泊先へ向かいました(アラビア風の宿でネットで宿泊予約をしたところでした)。
バスで近くまで向かい、近くのバス停で降りて宿に電話して道を聞きました。具合が悪かったので向かいにきてくれればいいなぁと期待しましたが、送迎は断られました(もう二度とここへは行きません)。結局ふらふらと、でもまだこのときは自分の足で歩いて山道を登りました(結局2キロくらいは歩かされてしまいました・・・)。

宿へ付くと部屋は3階で、エレベーターがない為、ふらつきながら部屋へ昇りました。
そのまま私はバタンキュー。夕食まで寝ていました。

夕食で目を覚まし、また1階まで、恐る恐る階段を下りました。夕食はアラブ料理のコース料理で、本当なら、ビールかワインでも飲みながら楽しく食べるはずでしたが、結局体調が悪いため、食べるのに必死でした。
食事内容もあまりぱっとせず(?)、今となってはモロヘイヤのスープを飲んだことだけ、印象に残っています・・・。

その後、お風呂に入った後、私はすぐに寝てしまいました。

明日は良くなっていると願って・・・・。
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8月26日 土曜日
朝 起床してみて・・・・
さらに
具合、悪し・・・・。

最悪です。

これでは旅行どころではないので、病院へ行くことにしました。また、病院へ行くなら、旅行先より家の近所のほうがやはり安心できるので、まずは東京へ戻ることにしました。

一人で階段を下りるのも危ない感じ。
なんとか妻の助けを借りながら、1階へ。

朝食を食べた後、すぐチェックアウト。
ここでも、具合が悪いので駅まで送ってもらえるか聞いてみるが無理との返事。
重ねて、鴨川近辺のアラビア系の宿ですが、ここへは二度と来るもんか、とふらふらしながら心に誓う・・・。
仕方ないのでタクシーを呼び、鴨川駅へ。

駅へ着いた時点で、もう完全に自立歩行ができなくなっており、改札で妻が交渉してくれて車椅子を借りる。

ちょうど、本数の少ない東京行きの急行が停車しており、それに乗ろうとするが、駅員さんが、
「ああ、それじゃあ階段を上っていってください。もうちょっとで出ちゃいますよ」との事。
歩けないから車椅子出してもらってんだろー!!!
とのことで再度駅員さんに妻が現状を説明し、他の通路での乗車を要請して交渉し、その後、階段を迂回するルートでホームまで到着(かなり急ぎめで駅員さんに車椅子を押してもらいました)、なんとか滑り込みで乗車できました。

そのあと、一路東京へ・・・。

お昼には東京駅へつきました(その間、また私は寝っぱなしでした・・・)。

結局、旅行へ行って病院に行っただけ・・・。なんつー旅行だ・・・・・と、思いました。

付いた先では、電車で電話をして連絡が取れた姉が迎えにきてくれており、三人でタクシーへ乗り込みました。

あとは、まずは救急でどこの病院へ行くか・・・、ということで相談のうえ、まずは東京駅から近く、信頼の置ける病院を、ということで、聖路加総合病院へ行きました。

そして、救急で受け付けてもらい、先生に見てもらいました。

ストレッチャ-に乗せられ、救急診察室で見てもらったのですが、その間もなんだかどんどん具合が悪くなっていくようでした。

この時点で、私の症状は下記のとおりです。
①頭がくらくらする(平衡感覚の不具合)
②複視(左目がうまく動かず、右目と左眼の動きが合わない。左眼は常に下方向を見ている為、像が右目と左目でが2つに見える)
③手足が痺れる(特に右手右足が痺れる)
④足の力がなかなか入らない
以上により、まっすぐに歩いてみろといわれるが5mも歩けず、という状態でした。

救急の先生には、この二日間の経緯を、亀田総合病院での診断を含めて説明しました。
救急の先生は、電話で神経内科の先生と連絡をとってくれ、いろいろと情報を集めてくれていたようです。
そして、この段階で、いろいろな原因が考えられるが、ギランバレー症候群という病気の可能性があるとの事を言われました。
ギランバレー症候群といわれてもピンとこなかったのですが、先生に「ゴルゴ13もかかっている病気だよ」と言われてイメージは分かりました。
ゴルゴは私の一番の愛読書だったのです・・・。

そのときはそれ以外、情報もなく、手足が痺れる、原因不明、と言ったことぐらいしか分かりませんでした。
それに、まだ病名も特定はされていませんでしたし・・・。

今となってみると、8月中旬の喉の腫れと発熱が風邪による潜行感染だったのです。

その後、救急の先生に、「骨髄液の検査をしますか」、と聞かれる。
この検査をするかどうか聞かれるが、しないとどうにもならないんですよね・・・?
断ったら、私にはどうしようもないです・・・。お願いします!との事で、生まれて初めて医療の同意書に署名をする(もう字がへろへろでした)。このときは正直びびりました・・・。
そしてまたまた急遽、生まれて初めて、骨髄液の抜き取りを経験。というか、できれば、一生経験しなくても良かったのだが、せざるを得ない。
経験した人はお判りのように、えびのように足を抱え込み、背骨を丸める。まずは痛み止めの麻酔を打ち、その後針を背骨に・・・。         
ううっ。思い出した想像だけで、背骨がうずく・・・。
(ちなみに、ここの病院は、痛さに対する技術の取入れが進んでいて麻酔後は、痛さは減りましたが、それより何より、背骨に針が入っていく違和感・嫌な挿入感があり、それがとても辛かったですなぁ・・・ぐぐぐっと背骨にはいる、あの感じ)結局1時間くらいで骨髄液の処置は完了しました。

この結果、蛋白質の上昇と細胞数の変化なしという情報が得られれば、病名の確定につながる(ギランバレーと診断できる)と言うことで、検査結果を待ちました。
が、ここでの結果は蛋白質の上昇はなしと言うことで、病名がまだ確定しませんでした。

その後、今後どうしますか、と聞かれる。退院するか、入院するかとの事。

こちらとしては、歩行もままならないし、退院して他のどこの病院へ行くのか、どうすれば良いかも分からなかったので、入院すれば翌日よりMRIなどの本格的検査が受けられるとの事で入院を決める。
病室は個室(しかなかったので・・・)で、テレビや冷蔵庫などの設備は充実していました(ま、最初の頃はそんなことは一切気が回らず、どうでも良かったのですが。とにかく頭が回ってわけがわからない状態でしたので・・・)。

ここから、いよいよ本格的に、私の闘病が始まったのです。
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8月27日 日曜日
この段階で、まだ私の病気は確定せず。
この日、MRI撮影をする。

その結果では、脳に血栓等の異常は見られず、脳梗塞・脳溢血ではないかも、との事。
しかし、数日たってから脳に血栓が出る可能性もあり、まだ病名の断定はできないとの事。

どきどきして夜はなかなか眠れない。
体の右側が痺れてしまい、心臓がどきどきする。マイスリーを処方してもらいました(ううっ、今まで生まれてこの方、睡眠薬を服用するなんて自分では考えられなかった、と言うか、むしろ嫌っていたのですが・・・)。以降入院中はデパスとこれを交互で服用していました。当時はとても夜は不安で眠れませんでしたが、それもあって、また体も欲していたのでしょうが余計に昼は眠かったのかもしれません。
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8月28日 月曜日
これから私を担当していただく、K(木村)先生他、神経内科の先生方と会う。
ウィルス性(ギランバレー症候群およびその亜種)の病気、もしくは脳梗塞その他の可能性もあり、すべての可能性から検証していただいているとの事。単に症状から病名の特定をするのは危険で、MRI検査にしても一度で分からず何回目かで分かる場合もあり、ウィルスや神経系など様様な病気の可能性があるため様様な可能性の中から特定するようにしていると言うことでした。そして、それが特定できてから、次に、完治し、再発しないよう万全の治療を行います、と言っていただきました。

症状はどんどん悪くなっている感じ。
目はろんぱってしまい、左目があさっての方向を見てしまっている…。天井を見ても照明が2つに見える(本当は一つなのに・・・)。

両足は完全に力が入らず、立ち上がることができない。

お手洗いにもいけず、尿瓶はまだ我慢できるにしても、大便もベッドの上で・・・(おもらしではないですよ!看護士さんを呼んで、ベッドの上で小さなおまるのようなものを使いました)。
これには正直、ショックでした。つい数日前までお手洗いなんて自分で行っていたのに、それもできなくなってしまうなんて・・・。私はこの先どうなってしまうんだろうと思いました。正直、何度も死も意識しました・・・。遺書を書いた方が良いのかとも思ってしまいました・・・。

それから、自分で思っていたよりも、自分は弱かったんだ、と己の弱さを知りました。
自分は本来、ポジティブシンキングな人間だと自負してきました。今まで、いろんなことがありましたが、すべて自分の血となり肉となっている、人生に無駄な経験はないんだと信じていました。そして、目指すのは、「ポジティブな馬鹿野郎」ではなく、「馬鹿みたいにポジティブな野郎」(2つは似て非なりですが)と言うことで、「馬鹿ポジ」(私の造語です)を自認してきたつもりでした。ですが、今回ばかりは、さすがに・・・・・ショックが大きく、なかなか入院当初は心の中まではポジティブになれませんでした。

頭は正常なのですが、ろれつは多少回っていなかったです。舌先が長くなってしまった感じでした。ろれつは1週間くらいで比較的普通に戻ってきました。これに関しては安心しました。

そして、なにより眠くて、入院して最初の週は、お見舞いにきてくれた家族や会社の人や以前の会社の知人、上司や友人と話す以外は大体寝ていました。この頃、連日、妻や会社の人や友人、親兄弟などお見舞いに来てくれました。一人だと不安なことばかり考えてもしまうので気分を切り替えるには助かりました。本当にみなさんありがとうございました。

最初の週、妻が会社を休んで一緒に病室で看病してくれました。心強かったです。

心肺は相変わらず右半分を中心に体の半分以上(両手足)が硬直する感じで引きつり、特に夜は胸がバクバクしてしまい、この頃、夜間に病室で心電図も取りました(が、大丈夫と言うことで、マイスリーを飲むも、なかなか朝方まで寝付けません。結局寝つきが悪いのは退院まで続きました。ま、このあとの入院中の日々では、昼間暇な時、透析などの治療中に眠れるのでこれはこれでよかったのですが・・・)。何より、朝、ちゃんと目が覚めるかどうか、不安になってしまう日々が続きました(大丈夫だったのですが、人間、何事も不安に思えばどんどん不安になっていくものだと分かりました)。
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8月29日 火曜日
このへんで、私の方の親族とも、なんだか煮詰まってきました・・・。なかなか病名が特定しない中で、私はずーっとこのままではないかというケースを想定したようで、こちらとしては良くなる方向で必死にポジティブに考えようとしていたのでぶつかってしまいました・・・。相手も私のことを思っての行動であったのはわかりますが、私自身でも最悪のケースも踏まえて夜も眠れない日が続いてはいましたが、必死に、「俺はひと月後には必ず良くなっているはずだ、この状況はもうすぐ症状が反転するはずだ、大丈夫、きっと良くなる」と信じ込む日々でしたので、皆の心労がいろいろと目に見えて顕著化してきたのがこの時期でした。

症状は相変わらずで立つこともできません。
食事は入院当初から、何とか自分で箸を持って食べてはいたのですが、右手は引きつって痺れが強く、なんとかかんとか箸を持っているような状態でした。

視界も相変わらずダブっているのですが、不思議とテレビなどはこの頃からなんとなくはっきり見えるようになりました。このあとも複視は続くのですが、平面な物(テレビや絵、本など2次元の物)を見るのは、特定の距離を見つづけているとピントが合いやすくなるようでした(テレビは一日中見るので、目が合ってきた感じでした。それ以外は、窓の外の景色など立体の物はぜんぜん良く分からず、景色は10階の病室なので綺麗なはずなのですがこの頃はまったく見る気がしませんでした)。

お風呂に入れないので頭や体が痒かったです。
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8月30日 水曜日
症状は相変わらずでした。

この頃、もう一度MRIを受けました。ストレッチャ-で運んでもらいました。最初のMRIで症状が出なくとも2,3日後にMRIで脳に異常が見られる(血栓が見つかるなど)こともあるとの事で、再検査でした。結局、MRI検査では異常は見られず大丈夫でした。これから2週間くらい、9月の中旬くらいまでは、検査で運んでもらう間中、周りの景色がぐらぐら回り、ダブって見えて、とってもふらふらした感じでした。

ただ、この頃、はっきり病状が断定されないため、精神的に参っており、
「むしろ、MRIでなにかしら小さな血栓でも出て、軽い脳溢血などの診断をされ薬で散らすなど対処できて良いのでは・・・?なんか見つかってくれ、断定してくれ、そしてすぐ治療してほしい・・・」
と言う気持ちが強くなっていました。とにかく病名がはっきり分からないのが一番不安だったです。
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8月31日 木曜日
この日、妻が担当の先生に依頼して時間を作ってもらい、私の両親や姉など親族も呼んでインフォームドコンセントをしてもらうことになりました。私の病室に皆が集まり、先生の到着を待ちました。
時間が来て、先生が部屋に入ってきました。
まだ病名がはっきりしていなかったので、私も含めて先生から説明があるのでしょう・・・・・

かと思いきや、
「じゃ、家族の方は皆さんこちらへどうぞ・・・」と先生。
おい・・・、
オイィィィィィィィィィ !!!
なんじゃぞりゃー !!! と、私は心の叫びを絶叫しました(心の中で、ですよ、もちろん)。

私もいろいろと自分のことだし、一番直接聞きたかったのに、
ま、後で聞くしかないか。うーん・・・

と自分に言い聞かせ待ちました。
そして待つ間、時間が過ぎました。

10分、20分・・・
いやに遅いなぁ。話が盛り上がっているのだろうかなぁ・・・。

30分、40分・・・
おかしい、おかーすぃいではないか・・・。
なんかあったのであろうか・・・

50分・・・
もう、確実だ。私はこのまま寝たきり、もしくは最悪の場合・・・。
そして、先生から話を聞いた家族は泣き叫び、もめているに違いない。きっとそうだ。
そうでないと、いくらなんでもこんなに遅くなりようがない。

そして、皆が出て行って1時間くらい経ちました。
その間、私は本当に生きた心地がしませんでした。

きっと、病室に家族が入ってくるときは、妻も涙を拭いて、私に悟られないように、笑って入ってくる、そうしようと決めて、皆で帰ってくるに違いない・・・最後はそう真剣に思っていました。

果たして、1時間過ぎ、病室の入り口に人の気配がしました。
そして、ドアが開き、案の定、妻と私の両親や姉たちが、笑いながら病室に入ってきたのでした。

「ああぁ、思ったとおりになってしまった・・・」
このときは本当にそう思いました。
その後、どうっだったのか、妻に聞いたところ、
「先生が一生懸命説明をしてくれて思わず時間が経ってしまった。先生はイラストで図解しながら私の病状と今後の方針などを親切に説明をしてくれたんだ」
とのこと。何度も本当かと確かめ、気が気でなかった私は、父に、
「その話は本当か?男として私の目を見て本当だって言えるか!?」
と、父の手を握り聞きました。そして、その話が本当だと信じるに至り、初めてとりあえず安堵することができました。

病気になった際の家族の皆さん、そして先生方にも、お願いです。
患者本人は、頭ははっきりしています。できればインフォームドコンセントは本人の前でお願いしますし、できない場合は、長くなるようであれば、病人本人にも、是非、途中報告をお願いします!
皆も必死で大変でしょうが、本人が一番デリケートで真剣に悩んでいますので。私のような状況になると非常に心配になってしまいますので・・・はい。

さてそして、この日の先生の話では、私の病状は、まだ断定は出来ないけれど、
フィッシャー症候群
ビッカーシュタッフ脳幹脳炎
2つの特徴があるので、この間の可能性が高い(併発であろう)、と言うことでした。
これは、ギランバレー症候群の亜種で、治療法は、
大量免疫グロブリン療法
血漿交換
ステロイド投与
があげられますとの事で、この時点で、先生としては血漿交換をして行こうと考えていると言うことでした(事実後日そうなっていきました)。
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9月1日 金曜日
病室を移動しました。差額ベット代の負担が軽減される部屋に移れました。ラッキーでした!
このあと、できるだけここにいられるように連日、担当医の先生、病棟の先生、看護婦さんへと頼む日が数日続きました。何事もアピールも大切ですからね・・・。

この頃、やっと入院以来初のシャンプーを体験。といっても、動かない体をストレッチャ-に乗せ、移動してシャワー室で看護士さんに洗ってもらいました。

ですが、気分はサイコーにすっきりしました。なんせ頭が痒くて・・・つらかったので。

しかし、病状は相変わらず自分ではたって歩けない。つかまりながら2,3mもいけるかどうか。
この頃から2,3日間間、症状悪化状態のピークになってきた。しんどい。
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9月2日 土曜日
このころは相変わらず、ぐたぐたです。
寝たきりで体調は一向に良くなりそうにありません。しゃべることはできるのですが、目も複視でテレビを見るくらいしかできません。本も文字が躍ってしまい読めませんでした。
精神的にも厳しい日々が続いていました。
実際、一番つらかったのは、はっきりとは病名が断定されなかったことです。

後で分かったのですが、これらの病気は特定・断定が難しく、唯一(?)、症状や患者の自覚症状以外では脊髄液の検査で蛋白質上昇と細胞数の関連で判別ができるようですが、それ自体が私は期待していたような想定した数値が得られず、というか値が普通のままだったため、他の病気の可能性もあり、先生方はいろいろと想定して検査・診断を慎重に進めていてくれていたということでした。ただ、結局、私はこのあとさらに病名特定のために合計3回骨髄液を抜いて検査をしたのですが、蛋白質上昇などの予期していた結果は出なかったです。検査の回数を重ねるごとに、「なんとか蛋白質上昇の結果が出て病名がはっきりしてほしい・・・」と願ったのですが、期待に反した結果で非常に気を落としたのを覚えています。はっきり言って、なかなか病名断定ができなかったので気持ちがすさんでいきました・・・。
もっとも、先生も言っておりましたが、「フィッシャーでも蛋白質上昇が見られない場合もあるから・・・。あなたの場合は症状など総合的に見てフィッシャー症候群とビッカーシュタッフ脳幹脳炎の間と言うことで、一般的にはフィッシャー症候群という診断になりますよ」と何度も言ってはくれていましたが、素人の私的には「だってまだ結果、証拠が出ていないのではっきりしないじゃないか・・・」と内心非常に不安な日々が続きました。これは入院してから2週間過ぎまで、続いていました。ですが、退院してから自分でもいろいろとホームページなどで調べてみると、確かに多くの例では蛋白質上昇などの結果が病名確定に利用されるそうですが、私のように検査で異常が認められない例も2,3割程度あるようだとの記述を見つけることができ、今となってはそのときの先生の判断が正しかったんだと私も思えるようになり、良かったと思っています。

また、病状がはっきりしないことの不安はありましたが、入院してから一貫して、K先生が、私と妻に向かって、「大丈夫、この病気は必ず良くなりますよ。予後はいい病気ですから・・・」
と言ってくださいました。これには非常に勇気付けられました。
※その後もいろいろな病院でお医者さんにお世話になってきましたが、ほとんどの医師は、リスクを考え、断定はしないことが分かりましたが、この時の主治医のK先生は、「大丈夫!」と言い切ってくれたのが、本当に心の支えになりました。技術や知識だけではなく、心を持ったお医者様だと痛感しました。
本当にありがとうございました。

また、私も患者として、先生やスタッフの方々を心底信頼していかなくてはいけない、と強く心に思い、妻と話していて、「チームき●ら」(先生の名前です・・・)と、神経内科の先生や病棟の先生方、看護士さんたちの私を見てくれている方々に名前をつけ、「チームき●ら」の言うことを聞いていれば大丈夫だ、と強く思うことに決めました(ちょうど以前はやったドラマ「医龍」のバチスタチーム「ドラゴン」みたいな感じですね。今これを読んでいる入院中の方やその家族の方がいらっしゃれば、この、勝手にチーム化して名前付けちゃう作戦、やってみてはいかがです・・・?なんか前向きになれる気がしますよ!)。

その後、なかなか病名がはっきり決定しなかったり、病状が改善しないときも、妻と二人で、「私たちにはチームき●らが付いているから、絶対大丈夫!」とこっそり2人で励ましあったりしていました。暗い話題しかなかなか出てこない状況の中で一つのごっこ遊びみたいな感じですかね。

来週から本格的に治療を開始します、とK先生より伝えられ、とてもほっとしました。
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9月3日 日曜日
私の両親が見舞いに来る。初めて車椅子に乗せてもらい、病室の外に出してもらう。
ホントは、下の階にあると聞いていた庭園でも一緒に行こうかと思ったのですが、同じフロア-のエレベーターまで押してもらっただけで頭がくらくらするため病室に戻してもらいました。

この日、担当医のK先生の診察の中で、今後の病状の変化を映像で比較でき、また今後の研究に生かすためにもとビデオ撮影が行われました。これは今後入院中合計3回ほど行われました。私も今後少しでも同じような病気の方にとって参考になればと思いました(それになんだか、自分の病状の変化、改善を確認すると言う意味での励みにもなりました)。「ビデオ撮影会」と言う感じで、なんかちょっとテンションあがりました。はい。

ですが、体はまだまだ無理はできない感じです。
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9月4日 月曜日
この頃から、まだふらふらするはするのですが、なんとかつかまりながら立って、病室にあるお手洗いにはよろよろと行くことができました。ただ、看護士さんに、一人でトイレに行くのは厳禁されましたので、トイレに行くにも都度、ナースコールを押すようにはしていました(ベッドから1mもない距離なんですが・・・)。よろよろでも立てるようになってきたと言うのは、すごい進歩で、足に力が入るようになったと言うことでとてもうれしかったです。

入院してから最初は、大はベッドで介助を受けて、小は尿瓶でと言う状態でしたが、これで、まだ小は尿瓶でしばらくずーっとしていましたが、大は、またトイレで個室でできるようになり、プライバシーの大切さ、そして個室で用便を済ませられる安心感と言うものを改めて心から知ることができました・・・。

まだものにつかまらないと無理ですが、なによりベッドから離れて少しでも立てたことはとても、とても嬉しかった・・・。
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9月5日 火曜日
このころも、会社の人や友人、家族が入れ替わりお見舞いに来てくれました。ありがとうございました。

そして、いよいよ治療開始です。

いくつかある治療法から、私の病状の程度も踏まえ、私は血漿交換を行うことになりました。
K先生の説明では、これにより、個人差はあるが、3,4回から7回くらい行うことで症状が快方に向かうことが多い、と言われました。普通に自己回復でよくなるよりも治っていくスピードを速める効果が期待できる、と言う事でした。

まず、午前中にベッドの上でカテーテルを首に刺されました。これは30分くらいで完了しました。
首から入れた管を、心臓の側まで通し、首に管を縫い付けると言うものでした。

これが
めちゃくちゃ
嫌でした。

嫌で嫌で嫌で、たまりませんでした(必要なのは分かったのですが・・・・)。体の自由がいっそう利かなくなり、また、寝るときも、首の右側に刺さって、びろーんとしているカテーテルの管を引っ張ったりしないように気をつけないといけないし(当たり前ですが・・・)、
そして、なにより、なにより、
「結構太い管が体に刺さりっぱなしで、しかも、それが心臓の方まで行っている」
という感じがすごく嫌でした・・・。
なんだか胸のあたりが、「この辺に管が入っている」と思うと、考えないようにしようとしても無意識に思いが至ってしまい、夜はすごくどきどきしてしまいました。

その後、レントゲンでちゃんと問題なく刺さっているか確認してから、ストレッチャ-で運ばれて透析室まで行きました。透析装置で、私の血を抜き、ろ過して、血漿だけを抜き取りその他の成分を体に戻してやります。そのとき、抜いた血漿の変わりに蛋白質など入ったアルブミン糖剤を体に入れてやる、と言う処置でした。これには1クール3時間~4時間位かかりました。このあと、1週間に2回、火曜日と金曜日、最終的に5回ほど、血漿交換を行いました。1回の処置で私の場合4.2リットル程の血を交換しました。大体体の半分から8割程度の血を抜いて、血漿を交換していたということでした。

処置の間はテレビを見たり寝たりしていました。

この日もよろよろではありますが、2mくらいであれば歩くことができました。相変わらず体の引きつりは治りませんが・・・。

処置が終わると、なんだか処置をする前より目がくらくらして、体調が優れませんでした。
さすがに大量の血を入れ替えているので、当たり前かな、と自分でも思いました。
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9月6日 水曜日
この日から妻が職場に復帰し、働き始めました。
幸い、妻の職場は私の入院先から歩いて5分ちょっとの場所で、お昼休みや会社帰りに毎日に寄ってくれるようになりました。これは不幸中の幸いなポイントでした。

昼間、看護士さんの前でちょっとだけ歩いて見せました。
「生まれたてのバンビみたいですよね ?!」
と30歳半ばのおっさんが自分で言ってのけ、笑い(失笑?)を買ってみました。
ただ、まだ病室でも一人の時には危ないので立つのは禁止でした。

看護士さんに運んでもらい病室でシャワーも椅子に移してもらって浴びました。
カテーテルが首に刺さっているので肩から下だけですが、気分が生き返りました。

夜、ちょっと体調が悪くなりました。熱が37度5分くらいありました。

その後も熱は通院中は夕方など37度過ぎまであがることが多かったです。

ハートの贈り物
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9月7日 木曜日
血漿交換後2日経つが、自覚症状ではまだ変化を感じられず。
ちょっとずつ立てるようにはなったのは、自己回復なのでは?と思ってしまう。

ですが、病棟のM先生より、
「この治療では2回目くらいから効果が出てくることが多いです」
との言葉をもらう。とてもうれしい。
がんばろう、と強く思う。
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9月8日 金曜日
2回目の血漿交換を行う。

この頃、2回目の骨髄検査を行うが、まだ蛋白質などの変化は無し。
はっきり病名が断定できないのか、と焦ってくる・・・。

やはり、処置のあとはくらくらする。
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9月9日 土曜日
この日はあまり変化無し。
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9月10日 日曜日
K先生の下、2回目のビデオ撮影会。
いつもの検査をする。
手足の反射の検査(ゴムのハンマーのようなもので)
目の動きの検査
などです。そのあと、ちょっと歩けるようになったことを受けて、
「じゃ、少し廊下を歩いてみようか?」との事で、入院以来初めて歩いて病室の外に出てみる。
廊下を5mくらいか、よろよろしつつも医師につかまりつつ一人で歩いてみる。
先生の補助(よたると手助け)をしてもらいつつも、3往復できた。
この日、今まで悩まされていた、頭のふらつきが取れてきたようであった!

目の複視と手足の痺れは相変わらずだった(この両方は結局退院後まで続く。この2点は退院後の10月頭のころも良くなる方向で闘病中でした)。

この日、以前より妻にお願いしていた「宝くじ」を買ってきてもらう。
ロトくじの申し込みも持ってきてもらいました。
真剣に、数字を考え、インスピレーションをひねって選びました。
退院してから見に行くことにしました。早く退院できるよう、楽しみを作った感じです!
こんなに珍しい病気になったのだから、当たっちゃうかもしれませんしね!?
(実際、フィッシャーは年末ジャンボなどの1等当選者よりも年間発症者の数の方が少ないんですから!)

当たりますように・・・・
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9月11日 月曜日
病棟の女医のO先生(いつもいろいろありがとうございました!)より、
「驚くほどのスピードで良くなっていますよ!?」と言われる。ホント?!。とっても、嬉しかった。

自分では日々焦ってしまい、「昨日とあんまり変わっていないなぁ・・・」と思う日々が続きましたが、考えてみれば1週間前はよろよろ歩くどころか、立ち上がることさえできませんでしたし、その1週間前はベッドから身を起こすこともままならなかったのです。

昨日と比べるのではなく、3日前、1週間前と比べて良くなった自分を誉めてあげよう、と思いました。
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9月12日 火曜日
三回目の血漿交換です。
なかなか目に見えた変化はなし・・・
でも、1週間前と比べれば、良くはなって来た感じです。そう思おう、と強く念じました。
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9月13日 水曜日
三度目の骨髄液抜き取り。
慣れるものではありませんね・・・。
早く終わってくれるのをひたすら願いました。

結局、結果は変わらず蛋白質の向上はなく、病名断定の手がかりにはなりませんでした。

精神的には、この頃ピークで悪かったです。
骨髄を抜くのは辛い思いだったので、どうせなら蛋白質の向上で病名特定の結果を出したい気持ちが強く、はっきりしないことでイライラが募ってしまいました。
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9月14日 木曜日
変化無し
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9月15日 金曜日
4回目の血漿交換。
この時は、ストレッチャ-ではなく車椅子で移動。
劇的な変化はこの頃自分では分からなかったものの、首は据わって来たので、移動は多少楽になったようでした。

しかし、相変わらず目はふらつくし、治療後は頭もくらくらする・・・
献血しただけで貧血になる人もいるんだからと自分を言い聞かせていました。

ですが、一般的に見れば実はこの頃以前より、回復傾向が出てきていたようで、かなり治療の効果があるのだと先生方より聞かされておりました。

自分的には、とにかくカテーテルが気になり、抜きたくてしょうがなかったです。

そうそう、この治療の際、血漿交換が始まって30分後、息苦しくなり、検査結果で血小板が減少しているのが分かりました。治療は続行し、念のため治療後、CTを撮りました。この時、造影剤を点滴でうち、その前に再度、同意書を書きました(なんかちょっと同意書慣れした感じ?)。
結果、異常は見られませんでしたが、ヘパリンアレルギーの可能性があると言われ、これ以降、ヘパリンを使用しない治療に切り替えると言うことになりました。

なんだかすごい焦りました・・・。
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9月16日 土曜日
3回目、4回目の治療の頃から、治療した後は調子が悪くなり、翌日体調が良くなる傾向が出てくる。
この日も昨日より体調いい感じで、2,3m、なんとかつかまらずに歩くことができるようになる。
その結果、一人でトイレに行く許可が下りる!嬉しかった!

今まで、左目が非常に垂れ下がり(目の筋肉がおかしいため)、良く動かなかったのだが、この日、左目を右目と別に動かす(左目だけで見ることができる)事に気づく。「おまえに食わせるタン麺はネエ!」という、次長課長というコンビのギャグを会得した感じになり、妻に向かって連呼する。
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9月17日 日曜日
この日は私の誕生日でした。
ちょっと前まで、まさかこんな状態で病院で誕生日を迎えるとは思いもよりませんでした。

妻に車椅子で押してもらい、1階の喫茶店で好物のカレーを昼食に食べました。
車椅子でもこうやって喫茶店に来られて、本当に嬉しい。
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9月18日 月曜日
3回目のビデオ撮影にて、再度廊下を歩いてみる。
先週の撮影時より明らかにしっかりとしてきているとK先生に言われる。
嬉しかった!

その後、妻と車椅子を使わずに病院の中にある庭園に行ってみる。
ふらつきつつも自分で歩いて行けた。
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9月19日 火曜日
午前中、リハビリを兼ねて病棟内を2週ほど散歩。
引きつりと目の複視は治らないが、体は動くようになってきた。

お昼から5回目の血漿交換。

その後、やっと、念願であったカテーテルの取り外しが行われた。入院して以来一番嬉しかったです。
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9月20日 水曜日
この日は部屋の引越しをしました(差額ベッド代の関係で・・・)。
ちょっとずつ歩けるようになるがまだふらふらする。
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9月21日 木曜日
今日は看護婦さんに聞いて、同じフロアにあるお風呂を入れてもらう。
入院以来3週間以上経って、初めての湯船を堪能する。
病室の目の前にある湯船に、自分で着替えを用意して歩いて移動する。
しかし、一人で着替えるがおぼつかず、椅子に座ってゆっくり移動して湯船に入った。
日本人であることを痛感しました・・・(お風呂って、やっぱり良いですよねぇ・・・)。

この日は、ためしに病棟内を歩いて5周ほど回っていました。
視界はおぼつかないが、体の動きを確認しながら歩行。
体は非常に痺れてひきつるも、一人であるけました。
看護婦さんも驚いていました。
この日、一人で病院内の資料室に行き、インターネットをしてみる。
そして、この病気のことをいろいろ調べてみた。様様な情報が入手でき、知識が広がった。
同じような経験をしている人の体験談を読み、非常に勇気付けられました。
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9月22日 金曜日
この日は、リハビリを兼ねてちょっと足を伸ばし、初めて一人で病院の向かいのビルのコンビニへ行ってみる。ちょっとづつ、歩ける距離が伸びている気がする。インターネットをこの日も2時間ほどやる。
夕方妻が来てから、車椅子で押してもらい、向かいのビルへ再訪問、お蕎麦屋さんでカツ丼を食べた。
口に口内炎ができ、ちょっと気になるが元気はいっぱいでいい感じ。
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9月23日 土曜日
熱が37度5分出る。痺れが強くなった気がする(ぶり返しするのではないかと不安になる・・・)。
後で思い返すと、ちょっと前日まで体調が良くなり無理しすぎた感じですが、疲れが出ると痺れも強くなるという、この病気の治るまでの間続く症状が出ていたのだと思う。
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9月24日 日曜日
痺れ感の強まりは継続中。熱も出てイライラ気味。
入院生活は、ずーっと閉じこもっている日が続き、ストレスもあったようです。

カテーテルをはずして以来、メチコバールを飲む以外特に治療はしていない日が続いており、この2,3日は、先生や看護婦さんなどに、退院したい旨何度か話をしてみました。家に帰って猫に会いたい(あまり私になついていないが・・・)、そして家の布団で寝たい、と強く思う。
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9月25日 月曜日
この日、午前中に回診にきたK先生に、「都合の良い日に退院していいよ」と言われ、夕方来た妻と話し、急遽、翌日退院することに決定する!非常に嬉しい。

体調は、まだ痺れは残り、動きもまだまだだが、この頃読んで知ったインターネットの他の方々の闘病記で、これら症状はこれから自分で生活の中で治していくものと知り、まずは退院できることを心から喜びました。「娑婆に戻れる!」を連呼する(看護婦さんにも)。
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9月26日 火曜日
晴れて退院、現世へと戻る日がきました・・・。感無量です。

病棟の看護婦さんたちに「お世話になりました・・・」と御礼をして病室を出ました。

会計のとき、窓口の人が、「今までの会計が間違っていたので(前に払っていた分も計算しなおして)余分に20万円ほど多く払ってくれ」との事を言われ、ちょっと問答する。結局、今まで会計の方では包括医療費で計算していたが、治療内容(血漿交換)が出来高払いの為、計算しなおしましたとさらっと言われ、それはおかしいんじゃない?すくなくともそちら側の手違いなら納得いくように説明してくれとの事で医事課職員と
窓口で話し合いをする。結局、腑には落ちないが、間違えたと言うことであれば仕方ないので、支払いを済ませ、退院しました。ちょうど、会計を出たところで病棟の先生のM先生とO先生が歩いてきて出会い、今までの御礼を言うことができました。偶然会えて良かった。

この日はまだ電車には乗れないのでタクシーで帰宅しました。
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9月27日 水曜日
家での生活を堪能する(といっても家で休んでいるだけですが・・・)。
インターネットで精力的に情報収集を続ける。ちょっとやりすぎて疲れる。
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9月28日 木曜日
昼間、初めて外へ外出。
近所の白髭神社へお参りに行く。参拝した後、おみくじを引いてみることに・・・。
悪い結果だと嫌だけど、運試し、と思い、くじを引っ張りました。
まだ体が不自由なため、くじが出たけどうまくこちらに数字がむかず、回して見ようとした所、神主さんがひょいとくじを取ってしまう。「何番です?」と聞くと「1番」との返事・・・。
1番って、一見よさそうですが、以前関西に住んでいたときに良く京都でおみくじ引いたら、1桁の番号でよさそうに思っていたら、凶だったことが何度かあり、ちょっと不安・・・。すかさず、
「1番って、良いんですか?悪いんですか?」と聞くと、
神主さん、くじを私に伏せて渡しつつ、
「(そういう事は)言えないんですよ」と一言・・・。
どきどきしながら、おみくじを開いた見たところ・・・・   『1番 大吉』 !!!
キター! っという感じでした。
後ろを向きつつ、内容を読みながら思わず嬉しくて感動しちゃいました。
「病い・・・必ず治る。己を信じること」
と書いてあり、今まさに求めていた言葉でした。
合掌。
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9月29日 金曜日
初めて最寄の駅まで歩いてみました・・・。
まだ左目が悪く、歩くと左側の視界が見えない感じで(左側を通る自転車・車など見えずらい)、不自由はありますが、とりあえずリハビリです。

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9月30日 土曜日
これで今月も終わり・・・
本当にいろいろありましたが、まずは退院できて一安心です。

これで、私の入院から退院までの闘病記は終わりです。
この記録の後、10月頭から会社にも復帰しました。まだ体調は100%ではありません(65%位?)が、なんとか元の生活に戻しつつ、リハビリしながらやっています。発症してからまだ2ヶ月目で、まだ、体の痺れやこわばり、心拍のどきどき感、目の複視は続いており、私の闘病もまだ終わってはいませんが、これから良くなると信じ、頑張っていきます。

最後になりますが、この病気を通して、私が強く思ったことがあります。

突然、こんな病気になってしまった・・・。しかし、せっかくこういう体験をしたのなら、ここからなんかしら、持ち帰ってやりたい・・・と強く考えました。一時は病名が分からず、本当に「死」と言うものも意識しました。そして改めて、「生きる」と言うことの素晴らしさ、そして今生は一度きりなのだと言うことを考えました。

人は生まれ、そして死んでいく定めです。そしてまた生まれ変わっていくものかもしれません・・・。しかし、今、この世に命をもらって生きていく中、後悔の無い生き方をしていきたいと強く思いました。

入院中、耳にした音楽(クラシックやピアノの音)に強く心を揺さぶられたり癒されたりしました。海、山、森などの自然の癒しの力もとても意識しました(マナのパワーですね)。

今までやりたいと思っていたこと、でもそのうちに・・・と思っていたことを、これからどんどん経験していこうと決心しました。これからは近場でも遠くでもどんどん旅行に行って自然を感じたり、芸術に触れてみたり、絵を描いたり、音楽を習ってみたり、陶芸も続けてやっていきたい・・・。ヨガも心を落ち着けるのには本当に良く、生活の中に取り入れていきたいです。

これからは、自分の興味あることを実際に体験していく中で自分の自己免疫力を高めて行きたいと思うに至りました。

一番大切なものは、普段はなかなか気がつかず、失ってはじめて分かるものです。今まで必死にしがみついていたことも角度を変えてみれば些細な事で、一番大切なものは自分自身の健康であり、最終的にそれを守ってあげられるのは自分自身しかいないということも痛感しました。

これからは肩肘張らずに、ちょっと息を抜いて生きていこうと思います。

今回気付かされた多くのことを、私の心の財産として、これからも忘れずに生きていきたいと思います。

私は今回、入院中に他の方の闘病記を読んで非常に元気付けられました。そして同じように、この病気が発症し、戸惑っている最中の方、そしてご家族や周りの方へのメッセージとなればと思い、この記録をつづりました。

みなさん、己を信じてください!必ず良くなります。それでは・・・。

※退院後に行った玉川温泉についてはコチラ!すごい秘湯でしたがお勧めですよ!


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